骨太の歌謡曲が聞きたいころだ
演歌の歌詞のネタづまりのせいか、飽きが来た作曲家の気分転換か、近ごろ歌謡曲寄りの歌が目立つ。演歌そのものにも、スケールを求める気配があり、歌い手の力量が試されたりして、それなりに楽しい。
〝黄金の七〇年代〟は、歌謡曲が全盛だった。あれからもう四〇年もの年月が経つが、その豊かさへ回帰する傾向なら、大いに歓迎しよう。問題は詞である。個人的心情にめり込んで類型のままで久しいが、そろそろ時代を見据える視線と気概が、生きてきてもいいころだろう。
2013年10月のマンスリーニュース
2014年5月11日更新
骨太の歌謡曲が聞きたいころだ
演歌の歌詞のネタづまりのせいか、飽きが来た作曲家の気分転換か、近ごろ歌謡曲寄りの歌が目立つ。演歌そのものにも、スケールを求める気配があり、歌い手の力量が試されたりして、それなりに楽しい。
〝黄金の七〇年代〟は、歌謡曲が全盛だった。あれからもう四〇年もの年月が経つが、その豊かさへ回帰する傾向なら、大いに歓迎しよう。問題は詞である。個人的心情にめり込んで類型のままで久しいが、そろそろ時代を見据える視線と気概が、生きてきてもいいころだろう。
流氷波止場
作詞:北多篠 忠 歌が変わった。どちらかといえば〝静〟のこれまでに〝動〟のインパクトが加わっている。喜多條忠の詞、竜崎孝路の編曲もプラスに働いているが、幸耕平の曲の快い起伏と粘着力が、寄与するところ大と思う。
前半の語る部分は、市川らしさを維持した。一番の歌詞一行めの最後「捨て〈た〉」の置き方とか、二行めの最後「オホーツ〈ク〉」の揺れ方に、情がにじむ。息づかい、それがサビ一行分で昂揚し、歌い納めの「流氷波止場」のめいっぱいの歌い放ち方に、悲痛の余韻が濃い。ラフな魅力で歌がうねった。楽曲に恵まれて二〇周年の進境である。
あぁ竜飛崎
作詞:八嶋龍仙 歌がのびのびと、深い山々をわたる風のように響く。木原の民謡調の声味が、巧みに生かされている結果か。ことに「アカサタナ...」の母音に、ひなびた開放感があり「イキシチニ...」にあたる部分に、思いのたけが乗る。声と節で聞かせるタイプの歌手だろうが、歌詞の言葉ひとつひとつがしっかりと地に足ついていて、歌い流れないところがいい。律儀さが説得力につながっていようか。
作曲・村沢良介が、いい仕事をしている。ワンコーラス七行の詞の六行分でメリハリを終え、最後の一行分のオマケが小気味いい。
龍飛埼灯台
作詞:西篠みゆき 吉幾三の曲には、彼〝らしさ〟の口調がある。それが歌い出しと歌い納めに顕著なメロディーを、西尾が彼女流に乗り切る。ことにサビあたり、細めの声をめいっぱいに使って、悲痛な女心を伝えた。この味、亡くなった新栄プロの西川幸男会長に聞かせたかった。
悲別~かなしべつ~
作詞:仁井谷俊也汽車と線路を小道具にした仁井谷俊也の詞に、弦哲也がいい展開の曲をつけた歌謡曲。川野の中・低音の声の響きが生きて、歌に物語性が生まれた。〝うまい歌〟というよりは〝いい歌〟寄りの仕上がり。川野も十五年生、元気ばかりが売りではない歌手に育った。
桜橋
作詞:瀬戸内かおる瀬戸内かおるの詞、岸本健介の曲、夏木綾子の歌と来れば、おなじみ家内工業ふうな歌づくり。♪決めた人です この人と生きる...を決め言葉に、ゆったりほのぼの演歌が出来上がった。夏木の声味にそれなりのキャリアが生きて、生活感が増している。
男の酒場
作詞:円香乃瀬川本人の母への思いを歌にした実話ソングとか。意を体した詞を円香乃が書き、恩師の新井利昌が曲をつけた。元気なころの母親と、似た年かっこうになってこそ...の思い当たりに、女性の心は揺れるのだろう。瀬川のもごもご歌唱が、とても暖かくて優しい。
あなたのせいよ
作詞:麻こよみほほう、その手で来ますか!と作曲者鈴木淳の笑顔を思い浮かべた。一時代を作った歌謡曲作曲家が、往時を思い起こしたろう曲を、愛弟子の椎名に歌わせている。歌声の艶の作り方と、語尾の揺らせ方が、伊東ゆかり系で、このタイプ、案外穴馬券かも知れない。
風泣き岬
作詞:伊藤美和 ワンコーラス九行の伊藤美和の詞を、長いと感じさせないメリハリで、徳久広司が3連の曲にした。大きめになるタイプの作品だが、川村栄二の編曲がスマートで、花咲の歌も歌い回すよりは詰め寄る形に抑え気味。久々に〝3連の徳さん〟の面目躍如である。
もう一度恋をしながら
作詞:荒木としひさ荒木とよひさの詞に杉本眞人の曲で、神野が歌謡曲を離れた。心得顔の矢野立美のアレンジも手伝って、フォークふうな語り口の歌である。熟年夫婦の夢よふたたびソングだが、神野が演歌的虚飾を排して歌った分だけ、妙に本音っぽく聞こえるのがおもしろい。