新歩道橋

2014年8月4日更新


新歩道橋884回

 京都の夏、コンチキチンの祇園祭気分を味わって、帰京した。7月18日からの3泊4日、3連休がはさまったから大変な人出で、四条通りなど朝から、歩くのに難渋するほどだった。 「暑かったでしょう!」 と、友人たちが言うが、物見遊山の旅ではない。19日初日の京都南座公演に参加していたから、日中は・・・

新歩道橋883回

 往復の電車の中で、このところずっとスピードラーニング状態である。年が年だから今さら英語に取り組むはずはなく、ネタは大阪弁。7月19、20、21日に京都南座、30、31日に江東区文化センターでやる「曽根崎心中」(脚本、演出岡本さとる)の準備だ。何しろ貰った役が曽根崎新地の茶屋の主、天満屋・・・

新歩道橋882回

 友人の奥野秀樹からアルバム「そして君を見つけた」が届いた。自作自演の歌も含めて6曲。ジャケット写真がライブの弾き語り姿でこじゃれたトーンの色あい。  《そうか、最近そういうふうなんだ...》 と思いながらレコードの棚に置いた。相変わらずせわしない日々、聞くのなら少し落ち着いた時間に―。・・・

新歩道橋881回

 名アレンジャー池多孝春が亡くなったのは6月12日。僕はその知らせを同じ日の夜、船村徹の第30回歌供養・懇親会の席で受けた。与えられた席の主賓のテーブルを離れ、隣りの作詞家や作曲家の席で油を売っていてのこと。以前、くも膜下出血で倒れた作曲家伊藤雪彦が、三途の川を渡る時に、ビンラディンをつ・・・

新歩道橋880回

「師よ、あなたも泣かれるのですか!」 北島三郎以下、作曲家船村徹の弟子たちが、一様にそう思ったろう光景が出現した。ステージで彼が白いハンカチで眼を拭ってる。この夜集まった400人近くも、粛然とそれを見守った。6月12日夜、グランドプリンスホテル新高輪の「飛天」で営まれた歌供養のあとの、懇・・・

新歩道橋879回

 「歌はやっぱり、一にも二にも、声だな」 5月27日夜、なかのZERO大ホールで新田晃也を聞きながら、しみじみ歌手の武器を再確認した。響き過ぎるくらいのバリトン、中・低音部が男っぽくて、高音はそのまませり上がり、哀愁の色が強くなる。それが、 〽こんな名もない三流歌手の、何がお前を熱くする・・・

新歩道橋878回

  かつての記者仲間で映画担当だった河原一邦から突然、歌手花京院しのぶの名が出て来たので驚いた。何でまた? と聞いたら、 「昔、仙台へ取材に行かされたじゃない。島津さんて言ったかな、マネジャーは。古い話をいろいろ聞いたけど、まだ元気ですか、あの人...」 と答える。ずいぶん記憶がはっきり・・・

新歩道橋877回

  〽林檎も桜も一緒に咲いて... と、原田悠里の「津軽の花」で書いたのは作詞家の麻こよみ。北国の遅い春の訪れがカラフルに浮き立つ気分で、 《ほほう、なかなかに...》 と、合点したのはだいぶ前のことだ。それに桃のピンクが加わり、菜の花や水仙の黄色、こぶしの白などが合流して、 《う~ん》・・・

新歩道橋876回

  母親と死別した友人に、慰めの詞を贈るーーそんな気障なことが出来る男とは思えなかった。作曲家杉本眞人に対する作詞家ちあき哲也の対応で、その詞がやがて大ヒット曲「吾亦紅」になったことは、よく知られる話。 「それは、そうよ!」 ずいぶん久しぶりに会ったちあきから、その間の事情を聞いた。実は・・・

新歩道橋875回

  3・11以後、東北の仮設住宅で暮らす熟年男女が60人余、バスで東京へやって来た。4月11日午後、東京駅八重洲口近くのヒット・スタジオ・トーキョー。高橋樺子という無名の歌手の発表会へ、お揃いのトレーナーを着ての応援行脚である。大震災のあと、数え切れないくらいの人々が、東北へ支援に出かけ・・・