もず唱平、戦後75年を謳う

2020年11月6日更新


殻を打ち破れ226回


 「愚生、時勢に抗い新譜を出すことになりました」
 作詞家もず唱平からの手紙の書き出しである。「時勢」とは「コロナ禍」と、歌手たちがみな開店休業、キャンペーン先一つない実情を指す。その中で「無策のリリース」をしたのだが、作品は『あーちゃんの唄』で、もずの作詞、宮下健治の作曲、三門忠司の歌。
 ≪そうか、こんな時期だと作家もプロモーションに乗り出すのか!≫
 僕はニヤリとして手紙の意図をそう読み取る。ごく親しい相手だけに限ったものだろうが、彼にはやらねばならぬ思いが強く、それを伝えたいのだろう、令和2年の今年は戦後75年、歌のテーマは戦争未亡人だった三門の母親の生涯。いわば実話の個人史が戦後史に通じる素材で、折から敗戦の年と同じ夏から秋である。もずにすれば、今こそ書かねばならぬ歌であり、今こそ世に問い、一人でも多くの人に聞いてもらいたい歌なのだろう。
 ♪女手一つで このオレを 育ててくれたよ あーちゃんは…
 と、歌は始まる。オレは三門自身、あーちゃんはその母で、大阪の下町の呼び方。それが、
 ♪ガチャマン時代 泉州の 紡績工場の女工さん…
 と話が進む。泉州は大阪の紡績が盛んだった地帯で、その機械が「ガチャッ」と鳴るごとに一万円の利益が生まれた時代があったらしい。
 三門は今年ちょうど75才。その父は昭和19年に戦死して、子供が生まれたことを知らず、子供の三門も父を写真でしか知らずに育った。母子の暮らしは歌詞の二番に出て来て「十軒長屋のすまんだ」で、働き者の母の女の証しは「マダムジュジュ」と、当時のごく一般的な化粧品が1点だけ。
 「すまんだ」に「?」となったが、大阪の方言で「隅っこ」の意とか。これも「ガチャマン」も「あーちゃん」も、あえてなじみのない言葉を使い、化粧品名を出したりするのは、その時代の生活の貧しさにリアリティを持たせたいせいか? ま、歌の文句って奴、全部が全部判りきっていればいいというものでもないか!
 作曲家宮下健治が書くメロディーには、時おり春日八郎の歌を連想する。昭和30年代から40年代ごろの匂いがあるせいで、今作には歌い出し2行分に、船村徹メロディーがにじむ気がした。いずれにしろこれらは戦後第一期生が歌や曲にした“のびやかな詠嘆”の魅力。それを今作は三門忠司が、ほどのいい哀愁ただよわせ、のうのうと歌っていい味を作った。南郷達也の編曲の暖かさも手伝っていようか。
 ≪相変わらずの“未組織労働者ソング”だな≫
 ずいぶん昔のことだが、もずは自分の作品のテーマをそう語ったことがある。デビュー作の『釜ヶ崎人情』や出世作の『花街の母』に色濃いが、前者は日雇い労働者、後者は子連れの芸者が主人公。どちらも社会の底辺に生きる人々の哀歓を描いていた。もずは50年におよぶ作詞生活で、そういう庶民の生きづらさやしのぎ方たくましに思いを共有して来た。
 師匠の詩人・喜志邦三が名付けたというペンネームからしてそうなのだ。「もず」は孤高の鳥の名前。「唱平」は「常に平和の貴重さを唱え続けよ」という師の願いがこめられたと聞いた。しかし、ものは流行歌である。声高に主義主張をぶち上げる種のものではない。主人公の置かれた状況や心境を、さりげなくしっかり語ることが大勢の共感につながる。
 「もずの高鳴き」という言葉がある。梢に一羽、鋭く一声鳴くのがこの鳥の習性である。「もずの速贄(はやにえ)」というのもある。虫や蛙などの獲物を木の枝に刺して示す習性である。もず唱平の反骨は80才を過ぎても衰えることなく盛んなようだ。


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