岩本公水の「憑依ぶり」を観る

2021年1月5日更新


殻を打ち破れ227回

 ≪オヤッ! そういうふうに歌に入るのかい。ちょっとしたお芝居仕立てに見えるけど…≫

 岩本公水の生のステージで気がついたことがある。曲前のトークはほぼ素顔。それが自分で曲目を紹介して、イントロが始まった瞬間に、彼女は歌の主人公になっている。以後歌はヒロインの心情をまっすぐに吐露、濃密な感触で客に提示される。作品を「演じる」と言うよりは、もう少し没入気味の「なり切り型」なのだ。

 演歌・歌謡曲の歌手たちの歌の伝え方を、おおよそ三つに分ける。「なり切り型」はいわば憑依の芸で、のり移ったように作品の主人公と本人が一体化する。「演じる系」は作品をシナリオに見立てて、主人公像を演じてみせるタイプ。もう一つは「本人本位」で、どんな作品でも、私が歌うとこうよ!とシンプルである。例をあげれば「なり切り型」の代表は都はるみ、「演じる系」は石川さゆりで、女性歌手の多くは「本人本位」だろう。

 岩本公水のステージで、僕は彼女を「なり切り型」に見て取った。しかし、都はるみの憑依ぶりとは、少しタッチが違った。都の場合、作品にはまるとあとはもう一気々々。まるで傷心の主人公そのものが、身を揉み、ステージを走り、燃えるような熱気と迫力を示した。客席で僕はしばしば、手に汗をにぎったものだ。岩本の場合は、そこまでは没頭しない。なり切りながらどこかに、そういう自分を見守ってもう一人の彼女がいる醒め方があるのだ。言うなれば「天の目」「離見の見」の陶酔と抑制のほどの良さ。

『片時雨』も『能取岬』も『しぐれ舟』もそうなのだが、高音部のサビは、きれいな声を抒情的な響きで歌ってメロディー任せ。感情移入は大づかみだが、一転それが濃いめになるのは中、低音の一部。ここで彼女は歌を「決めにかかる」押しの強さを見せる。主催者のリクエストで歌った『風雪ながれ旅』に顕著だったが「アイヤー、アイヤー…」を哀調たっぷりに歌い放っておいて「津軽、八戸、大湊」をズシリと決めた。地名三つには情感の手がかりなどないが、それを漂泊の思いで熱くするのだ。

そう言えば…と気づいたことがもう一つ。歌の情感の起伏もそうだが、それに連れる身振り手振りも、イントロからエンディングまで、4分前後のドラマを物語っている。歌い終わってのお辞儀までが、歌の主人公のそれで、歌手本人のものではない。その徹底ぶりには、マネージャーも気が抜けまい。事務所社長の吉野功氏は舞台そでで身じろぎもせず、彼女の一挙手一投足を見守る視線が厳しかった。歌手と社長、一心同体の趣きまであるではないか!

 ≪歌手生活も25年になったか…≫

 デビュー当初から親交があるから、僕にも多少の感慨はある。波乱に満ちた前半から「歌巧者」の潮が満ちて来た後半がある。ホームヘルパー2級、障害者(児)対応ヘルパー2級などの資格を取ったのは、歌手活動を中断していた時期。よこて発酵文化大使や埼玉伝統工業会館PR大使などは、陶芸に熱中、埼玉に自前の窯を持つその後の日々を示す。40代なかばの女盛り。「人」も「歌」も目下ゆったりと充実ということか。

 岩本のナマ歌に久々に接したのは、10月18日、佐賀の東与賀文化ホール。実はこの日の催しは永井裕子の歌手生活20周年記念故郷コンサートで、岩本はそのゲストだった。永井もデビューから10年間、全作品をプロデュースした浅からぬ縁がある。ゲストが主で本末転倒の原稿になったが、本チャンの永井の分は他紙にたっぷり書いた。彼女の充実ぶりもなかなかで、両親の嬉しそうな顔もよかった。