え? 昭和の美智也&令和のこうへい?

2021年5月29日更新


殻を打ち破れ231回


 3月15日、東京・関口台のキングレコード・スタジオへ出かけた。秋元順子の新曲『いちばん素敵な港町』と『なぎさ橋から』の編曲打合わせ。作曲した杉本眞人とアレンジャー宮崎慎二が話し合うあれこれをプロデューサーの僕はニコニコ聞いている。大病克服中の作詞者喜多條忠は所用で来ない。ま、無理をすることもない――。  

 その日、友人の古川健仁プロデューサーは別室で福田こうへいのレコーディングをしていたらしい。

 「残念だったな。来てると判ってりゃ、のぞいてもらいたかった。福田とね、三橋(美智也)さんのデュエットをやってたの。古いカラオケと三橋さんの声を、資料から取り出してさ…」

 後日彼からかかって来た電話に

 「そりゃあ面白そうだな。CDに焼いて送ってちょうだいよ」

 と僕は応じた。

 そのまた後日、届いたCDを聴いてみる。『おさらば東京』『星屑の町』『赤い夕陽の故郷』の3曲。テンポが快いのが共通点で、当時のカラオケは音が薄めでシンプル。それに合わせて三橋と福田が、かわりばんこに歌ったりサビで合唱したりする。民謡調の先輩後輩がそれぞれ小ぶしコロコロで、のうのうと歌っている。発売は6月になると言う。

 「ま、単なる思いつきですがね…」

 と古川は言う。この人は平成19(2007)年にも妙な思いつきのアルバムで、レコード大賞の企画賞を取っている。『作詞家高野公男没後50周年記念・別れの一本杉は枯れず』という代物。高野の作詞、船村徹の作曲、春日八郎歌の『別れの一本杉』は、昭和30年代に大ヒットした望郷歌謡曲の名作だけに、カバーした歌手は山ほど居る。その中から目ぼしいのを集めて、スターの共演ものにしたアイデア商品だ。同じ楽曲だけ並べても歌手それぞれの味つけ、仕立て方が多彩だから、聞き手を飽きさせない妙があり、コロンブスの卵古川版だった。

 届いたサンプルの表示は「福田こうへい&三橋美智也」と、福田が前に出ている。ナツメロものなら三橋が先になろうが、位置づけは今が旬の福田のサービス盤が狙い。コロナ禍が長く続いて、歌謡界もご他聞にもれず万事手づまり。その中で話題先行型の打開策に…の算術もありそうだ。

 ≪星屑の町かぁ…≫

 久しぶりに三橋の声を聞いて、僕はふと、往時の体験へ引き戻された。あれは昭和38年の秋。向島の料亭で飲んだあげくに、大スター三橋と駆け出し記者の僕が、あわや大立回りの騒ぎを起こした件だ。前年の紅白歌合戦で『星屑の町』を歌った三橋は、声もボロボロの惨状、大舞台での大失態である。今年も出演するそうだけど、一時でも「引退」を考えたりはしなかったものか? どんなに角の立たない言い回しをしたところで、僕の質問は彼の痛い所を突いた。激怒した彼はテーブルをひっくり返して

 「何が言いたいんだ! 表へ出ろ!」

 芸者が悲鳴をあげて逃げる。立ち上がった三橋と僕の間に割って入ったのは、同席した国際劇場のプロデューサーと演出家。それをきっかけに僕は頭を抱えて遁走した。

 仕事は万事本音…と思い込んでいた僕の若気の至りだが、そのころ三橋は、深刻な家庭問題の悩みが限界に達していたと後で知る。これを機に僕は彼との望外の親交に恵まれた。

 60年近くもこの世界でネタ拾いをやれば、いろんな出来事に出っくわしている。舞台裏話、ヒット曲にまつわるあれこれも山ほど体験した。そして昨今、僕は昭和歌謡の「知ったかぶりじいさん」になっている。