山田!『一本道の唄』いいよな…

2022年4月10日更新


殻を打ち破れ241回

 

「山田、40周年だってな。記念曲は出来てるのか?」

 「はい。サンプル盤と資料、持って来てます!」

 鳥羽一郎のマネージャーとのやり取りである。マネージャーで年下とは言え他社の社員。それを呼び捨てにするのは乱暴に過ぎようが、僕らの間にはそれでいいとする黙契がある。何しろ僕は、彼が仕える鳥羽そのものが呼び捨てなのだ。作曲家船村徹の弟子としては、僕の方がキャリアが長く、年長のせい。そんな鳥羽のそばで、山田に「君」や「さん」をつけるのは、いかにも収まりが悪い――。

 「ほほう」

 資料で読めば、歌詞が得も言われずに、よい。

 ♪泣きたくなるよな 長い一本道を 歩いて来ました まだ歩いています…

 と、歌の主人公は歌い手の道のまだ旅なかば。村はずれの桜の花に、人気の春や不入りの冬を思いながら、舞台で演じる花に、芸する人の覚悟を託す。不器用だが、一途に生きて行きたい。果てる時は最後のひと息まで演歌に仕立てて…と、“来し方”と“今”を見据えたうえで、結びのフレーズが絶妙なのだ。

 ♪いつか必ず この来た道に かかとそろえて おじぎをします 過ぎた月日に おじぎをします

 かかとをそろえるのは、直立不動の姿勢をとること。主人公は最後の日には、自分の歩いて来た道に敬礼したいと、そう念じる。タイトルが『一本道の唄』作詞者はあの武田鉄矢。男の気概がうかがえまいか!

 「これは武田鉄矢の心情そのものだな。それがぴったり鳥羽一郎にはまっている。そうそうお手軽に書ける歌詞じゃないよ」

 そう言ったら鳥羽は、こちらに向き直って

 「そうです。俺もそう思います」

 と、語気を強めた。武田に詞を依頼するのは、彼の発案。番組で一緒になったこともあり、よく彼の仕事を見ていて、相通じるものを感じたのだろう。九州出身の武田は坂本龍馬を信奉、バンド名も海援隊を名乗る。もともとは、本音を詞の芯に置くフォークのシンガーソングライター…。結果論になるが、鳥羽の眼のつけどころが生きた。

 鳥羽は星野哲郎・船村徹コンビの連作で、海の歌の語り部になった。元船乗りの経歴もキャラクターもそれに似合いで、作品の軸は男の真情。昔ならそれは任侠路線の型でもてはやされた。しかし昨今の風潮からは、暴力団肯定のそしりを受けかねない。泥くささ承知で男の熱情を描こうとしても、草食男子横行の世相ではいかんともしがたい。そんな中で鳥羽と武田には、苦虫を噛む“硬派”の共通点があったろうか。

 作曲したのは息子の木村竜蔵である。鳥羽の息子2人は「竜徹日記」のユニット名で音楽活動をしている。その若いセンスに期待したのは担当ディレクターで、度重なる打合せとダメ出しの末に作品を仕上げた。

 「大物作曲家に頼んで、もしイメージが違うものになっちゃったらね、手直しもむずかしくなるじゃないですか」

 鳥羽が肩をすくめた。息子の才能を信じると同時に、歌詞から得たイメージを、最大限大事にしたかったのだろう。

 僕はそんな話の直後に、鳥羽のこの作品を生歌で聞く。40周年、歌詞みたいにまっすぐに生きた男の気概が、会場の人々に届くのを目撃した。僕ら2人が一緒に舞台を踏んだのは、昨年暮れの新宿文化センター「沢竜二若手座長大会」で、僕はおばかな飲み屋の女役のヘボ役者だった。

 功成り名とげた鳥羽が、僕に呼び捨てを許すのは、彼流の洒落気分。山田もそれに倣っているのだろうが、その仕事ぶりはいつもながら、言動てきぱきスピーディーで小気味よかった。