三沢に神様がついたのか?

2022年4月29日更新


殻を打ち破れ242回


 ≪ほほう、何とまあ、似合いの曲に出会ったもんだ…≫

テレビで歌う三沢あけみと新曲『与論島慕情』を見比べ、聞き比べてそう思った。『島のブルース』でいきなりブレーク、それを代表作と歌い続けて来た人である。あれはたしか奄美大島が舞台。それが今度は与論島である。長野出身なのに奄美の出と、よく思われた彼女には、似合いの作品じゃないか!

 4行詞4コーラス、素朴な歌である。はじめの2行で島の風物を淡々と歌い、次の2行が与論島讃美。それも「夢にまで見た」「離れ小島の」「あつい情けの」「帰りともない」に「与論島」をつないだ4パターンに、例の鼻にかかった声で艶を加える。作詞、作曲家の名に耳なじみはない。聞くところによれば、島の人が作り、島唄として歌い継いで来た“地産地消”ソングらしい。

 そう言えば…と思い出す。奄美あたりは世界自然遺産に登録されたばかり、三沢は今年が歌手生活60年で、このシングルはダブルの記念盤になった。それにしても――。

 収録された2曲目には相当に驚く。三沢の恩師渡久地政信の作曲だから是非!となったのだろうが、詞は川内康範による漂泊・無頼の男唄。明日の行く方を雲に聞き、風に聞いてみたところで、答えはいつも自問自答した通りでしかない。それならば

 ♪どこで死のうと生きようと(中略)天上天下ただひとり 頼れる奴はおれひとり

 と思い定める内容だ。

 『流れの雲に』がタイトル。先ごろ高倉健の遺作アルバムが話題になったが、それに収められた1曲だった。川内の4行詞3コーラスが、彼ならではの簡潔な表現で相当な迫力。技を使わず淡々と、そのくせ言い切ってしまう技の凄味がある。その圧力を委細承知と引き取って、渡久地は穏やかなワルツに仕立てた。あとはたっぷりめに、歌い手の器量に任せる趣向だ。三沢は天を仰いだろう。これを女の私に歌えというの? 自分の胸を叩いて、何をひき出し、何をきっかけに歌えというの? 僕も聞く前にはミスキャストだと呆れた。ところが三沢は捨て身の“やる気”と年の功で、力まず飾らず率直に語りこのハードルをクリアした。男の中の男が歌う男唄と真逆の柔らかさで“異種交配”の面白さを生み出した。

 ♪どうせ死ぬなら死ぬ気で生きて 生きてみせると、自分に言った…

 昔、川内康範が小林旭に書いた『落日』の衝撃を思い出したくらいだ。

 3曲めは彼女のための新曲である。さわだすずこが作詞、徳久広司が作曲した『幸せの足音』で、軽快な今日ふう歌謡曲にホッとする。冬の厳しさに耐えて咲く福寿草、梅雨の合い間に色を変える紫陽花、やがて雨上がりの虹を見上げて、幸せの足音を聞く女心ソングだ。

 『与論島慕情』は、昨年思いがけなく業界の実力者からプレゼンされた。「いい歌だし、どうせなら私、来年が60周年なので…」と、甘えて記念曲にしてもらった。恩師の情にも報いたいと言ったら『流れの雲に』を提案された。渡久地作品の旧作なら数多くあるのにどうして…とは思ったが、挑戦する若さはまだ残っていた。『幸せの足音』は今日現在の気持で歌えた。節目の年だから記念盤を何とか…と思いながら、でも無理かと言い出しかねていたところへ、降って湧いたようにいい話のあれこれである。

 「神様が最後のチャンスを下さったの、きっと…」

 と、三沢は声をはずませる。「よかったよな」と応じる僕は、彼女とこの世界では年上の同期生。東映のお姫様女優から歌手に転じたばかりの彼女を、ホヤホヤ記者として取材したのが昭和38年だ。とすると「俺もこの道60年か」と思い当たるがすでに足腰衰えていてヤレヤレ…である。