葉山の花火と和也社長と鮫島有美子と…

2022年10月16日更新


殻を打ち破れ247回


 突然、花火があがった。夕方の六時ごろ。

 ≪え~と、何だっけな、あの花火は…≫

 僕は読みかけの本から目をあげ、ボーッと考える。あれは何かの合図か、そうだ、今夜、花火をやるぞ!というお知らせの一発だ! 7月28日、葉山の花火はそれから1時間半くらい後に始まった。コロナで中止が続いて、3年ぶりになるか――。

 眼下の海、名島の鳥居と裕次郎灯台の向こう側に、台船が浮かぶ。そこからポンポンとあがる花火は、ごくシンプル。大輪の花のあれこれに、ハート型や宇宙船ふうな小型。シャーッと音を立てるしだれ柳などが続く。あげる足場に限定されるから、派手な仕掛けはなし。盛り上げ用の演出は連発して頼って、何種類かの花火が夜空に重なる。自然の演出も加わった。花火の背後の小田原や箱根あたりに束の間、稲妻が照明の妙を生むのだ。

 今年の夏、逗子や鎌倉の花火は早々に中止を決めた。コロナ禍第7波、神奈川も感染者が万単位へ、誰もが無理もないと思った。ところが葉山は決行である。観光客を呼ぶよりは、住民やその縁者のお楽しみ、湘南の若者たちも少々…の小規模ならという目論みか?

 僕の住むマンションは5階の角部屋。ゆるい形状の岬の突端に位置して、一方通行の細いT字路と防波堤を見おろす。その先は海だから、ベランダは花火の台船にほぼ正対する。ま、特等席ではあろうか。

 「昔々、少年の日に見た花火の、ひどくひなびた趣きがある。それを肴に一杯やるからおいでよ」

 友人に声をかけて、例年、小さな宴会をやったが、今回はそれはない。呼べば誰に迷惑をかけるか判らないし、それにこちらは連日“要注意”が声高かな高齢者で、体調いまいちである。カミサンが隣りに居て、時折り嘆声をあげるくらいで、アルコール類もなし。リビングでは老猫の風(ふう)がヘソ天でゴロリ。音に敏感な若猫パフは、驚きあわてて部屋中を駆け回ったが、どこへ隠れたか姿もない。

 2日前に読んだ毎日新聞夕刊のコラム「憂楽帳」を思い出す。6月に横浜市磯子区民文化センターで開かれた美空ひばりをしのぶイベント「杉劇ひばりの日」の記事。ひばりの初舞台は1946年の旧杉田劇場。2005年開館のセンターの愛称はこの劇場に由来する「杉田劇場」。

 ひばり追悼イベントは大がかりなものが多く、地元ではそれらしいものがなかった。センターの中村牧館長が「33回忌を逃がしたらもう出来ない」と企画して、昨年立ち上げた会。それが定例化して2回目のことし、ゲストのミッキー吉野が、磯子のひばり御殿の話をした。彼女の誕生パーティーには庭でバンドが演奏、出店がにぎわったそうな。聞いた長男のひばりプロ加藤和也社長が「20年早く生まれたかったなぁ」とうらやんだらしい。コラムを執筆した田中成之記者は、そんな素朴な地元イベントを、はじめひばりの「静かな凱旋」と思い、やがて凱旋より「帰郷」がふさわしいと思い直したと書いている。

 ≪和也社長にとっては、久しぶりに心穏やかないい会になったかも知れないな≫

 以前、うちの花火飲み会で童心に返った彼と、最近一緒に飲んだのは6月29日、秋元順子のコンサートのあとだから、もうひと月も前だ。大がかりな追悼イベントも諸事大変だろうから33回忌でひとくぎりに…とねぎらったら

 「そんな急に特急列車から飛び降りろなんて言われたって…」

 と返された一言で彼の決意の重さをまた知らされた。

 さてと、花火は終わった。僕は孤独な花火見物から腰をあげる。クラシックの第一人者鮫島有美子が、尊敬するあまり腰が重かったというアルバム『ひばりさんへのオマージュ』でも聞くことにするか…。