仲町よ、故郷はありがたいなあ

2023年2月5日更新


殻を打ち破れ251回

 
 高知の四万十川は有名だが、地元にはそれに対抗する清流・仁淀川がある。「によどがわ」と読むのだが、前者が全国区なら後者はまだ地方区の知名度に止まっていようか。神奈川に住み、東京を仕事場とする僕には、なじみのない名勝だが、ここを舞台にした歌づくりをした。友人の歌手仲町浩二が世話になっている地域のせいだ。ご当地の友人がもう一人居て作詞家の紺野あずさ。彼女に詞を頼み、作曲は長いつき合いの岡千秋に頼んだ。出来上がったのが『高知 いの(ちょう) 仁淀川』で、編曲は石倉重信。

 ピンポイントのご当地ソングである。レコーディングのあと、仲町が「いの町」へ持ち帰ったら、情報だけで町が大喜びした。仲町が仁淀川波川公園で開かれた土佐の豊穣祭「神楽と鮎と酒に酔う」に呼ばれて歌ったのが11月。この祭りは川沿いの仁淀川町、越知町、佐川町、日高村、土佐市に「いの町」を加えた6市町村が勢揃いする催し。吹き込み直後なのでまだCDは出来ていず、本人の歌だけのお披露めになったが、盛り上がりはなかなかで

 「何でいの町だけなんだ。われわれの地名も入れば、もっとよかった…」

 と、他町の町長さんたちがうらやんだ。

 「いの町」は「いのちょう」と読み、原稿に書くときは、まぎらわしいので困る。あまり知られていない町だから、反響を心配してすべり止めにカップリング曲は『おまえの笑顔』にした。2曲とも「いの町」と恋人のもとへUターンした男が主人公。もしかするとこちらの方が、幅広い聞き手、支持者を獲得できるかも知れない欲目があった。

 「どうしたもんだろうね?」

 と相談したら、岡千秋は言下に「高知 いの町 仁淀川」と答えた。泣けるくらいのいいメロディーを書いてくれているから「やっぱりな」と、僕も合点した。

 岡と仲町の縁も長い。仲町をデビューさせたのは2013年で、岡の作品『孫が来る!』を歌い、岡との競作を話題にした。以後ずっと仲町は弟子みたいに大事にしてもらっている。仲町はもともと、僕の勤め先だったスポーツニッポン新聞社の後輩社員。僕は編集、彼は広告と所属先は別々だが、仲町が僕に密着したのは熱心な歌手志望だったせいだ。聞いてみれば確かにいい声だし節回しも巧みだが、五木ひろしのそっくりさんだった。

 諦めさせるために北島三郎や一節太郎の例を出した。“流し”出身の北島は、曲によってそれを歌った歌手の癖が出てしまう。それを師匠の船村徹が「声帯模写じゃないんだ」と歌唱法を改造させた。一節は三橋美智也似の美声だったが、師匠の遠藤実が「三橋は一人きりでいい。声を変えろ」と厳命して、あの声につぶさせたエピソードがあった。

 その仲町がスポニチの定年を迎えたから、

 「いっちょ行ってみるか!」

 と声をかけた。僕自身がスポニチを卒業後、70才で舞台の役者を始めた物狂いの日々。長い間諦めさせていた歌手への夢を、一度くらいは見させなければ義理が悪いと思った。しかし、年が年で、後押ししてくれる事務所もない。重点的に故郷の高知で活動して地歩を固める作戦にした。だから5年後の第2作は『四万十川恋唄』で、その4年後の第3作が今作になったわけだ。

 12月2日、いの町役場に隣接するホールで、仲町の新曲を発表する会が開かれた。町と観光協会の肝いりで、地元の善男善女がわんさか集まった。ゲストが豪華版で作詞の紺野と作曲の岡。乗りのいい岡はピアノの弾き語りで『長良川艶歌』や『黒あげは』など10曲近く歌っての大サービス。仲町は負けじとばかりに力の入った歌唱で面目を施した。

 地元に居着いて、人柄と熱意を認めてもらえた仲町の故郷奮闘である。仲町といの町界わいの人々は、きっといい新年を迎えることだろう。