タイで若草の『ふたりの船唄』を聞いた!

2011年3月30日更新


殻を打ち破れ110回

 タイのホアヒンで遊びほうけている。ごく親しい友人たちが作る“小西会”のツアーだが、今回が何と60回という節目。この国の王様の別荘がある高級!?リゾート地へ行ったのに、例によって能のない僕らはゴルフ三昧である。どこへ行っても最大の買い物は季節。今回も連日気温30度の“夏”を手に入れたが、第1戦のブラックマウンテンGCは先日、石川遼がやったばかりという話題がオマケについた。
 2月5日から6日間。夜は現地のうまいもので酒宴…という暮らしに
 ≪しかしなぁ…≫
 と、貧乏性が首をもたげる。夕方、部屋の眼前の海を眺めながら取り出したのが、聞きもらしていた新曲のCD数枚。よくしたもので若草恵が天童よしみに書いた『ふたりの船唄』にでくわした。アレンジャーとしての名声と地位は確保しているが、作曲ではこれが出世作になりそうな出来上がりだ。
 華麗でドラマチックな音楽性で売る男が、一転して演歌寄りの歌謡曲を書いた。のびのびとオーソドックスな作品で、それを天童がしみじみ歌っている。水木れいじのひとひねりした“しあわせ演歌”の詞に、若草が気分よく寄り添った結果なのか。逆に言えばポップス系の編曲者“らしさ”は影をひそめているが、ま、あれはあれこれはこれ、出来高本位に考えればいいか…。
 ≪もっともなぁ…≫
 と、カクテルなどグビリとやりながら、思い出す。若草がこの稼業の師として仕えたのは中山大三郎だった。歌や音楽のジャンルを超えた触れ合いに見えたが、もともと優秀な奴は、そのくらいの多面性は持つものなのか。
 ≪二人ともゴルフが巧いし…≫
 思考が妙に尻取りふうになる中で、日が暮れる。沖合いで不動の軍艦3隻は王様警護用と聞いたが、これが突然、電飾で満艦飾になる。まるでディズニーランドみたいだ…。
 手柄の先取りをする気はないが、若草に作曲をすすめた行きがかりがある。せっかくの才能だから生かそうよ…と、五木ひろしのアルバム用が手はじめ。3年前の『江戸の夕映え』の中、石原信一の詞で『ヘへイ弥次さん ホイ喜多さん』、吉岡治の詞で『深川がたくり橋』をやったが、風変わりなポップス系で面白かった。一昨年暮れごろのNHK「ラジオ深夜便」用は喜多條忠の詞の『愛は旅人』で、シャンソンの佐々木秀実が歌った。
 さて、4月5日には、中山大三郎の7回忌。26日には三木たかしの3回忌の法要をやる。それぞれ彼ららしく…という打ち合わせを近々始めるが、若草と僕は双方にかかわる。
 「彼らがやり残した仕事とそのための年月を、見送った俺たちが引き継ぐ。双方の10年分くらいを“彼ならどうしたろう?”と考えながら生きるんだから、俺たちゃ長生きするし、彼らを忘れることもないよな」
 ちょいと前に若草と、そんな話をして肯き合ったことがある。それと『ふたりの船唄』の成果とはまた、別のことではあろうが…。

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