意表を衝いて、納得させて...

2011年9月30日更新


殻を打ち破れ117回

 「ン?」
 と、タイトルでひっかかった。天童よしみの新曲『パンの耳』だが、およそ流行歌、それも演歌のものとは程遠い。相当に“奇”をてらったか?それだけだとあざといが、近ごろは『トイレの神様』の例もあるし、さてと…。
 一度聞いて「ほほう」になった。もう一度聞いて「なるほど…」と思う。意表を衝いた山本茉莉の詞、それをほど良く揺すぶりながら、おハナシに仕立てた大谷明裕の曲が、なかなかなのだ。年の瀬、郊外のスナックをキャンペーンで回る歌手が主人公。実際に歌手たちの多くが、身につまされそうな状況が展開する。
 控え室は吹きっさらしの店の裏。鞄には売れないカセットが山ほど。気前のいい人に会えるのは夢の夢、三軒回って千円札がまだ片手…。そこへ“パンの耳”が登場する。サンドイッチの切れはしを、油で揚げたやつ。それを店のマスターが放り投げるようにくれた。「お疲れさん」の声に、いたわりの色などなかったろう。
 売れない歌手のキャンペーンは、しばしば胸に傷を作る。心ない客の言葉や仕草が突き刺さるのだ。そんな日々の中で、その傷が膿む。それでも歌手たちは頑張る。頑張らざるを得ない。たった一人の客相手に、カウンターの中から歌った歌手を、僕は知っている。農家の広間へ呼び上げられ、余興がわりに歌わされた歌手もいた。「テープも買わないで、胸やお尻にさわろうなんて、冗談じゃないよ」とタンカを切って、締め出された歌手も知っている。
 しかし、天童が歌うこの歌の主人公は、そんな事例を書き連ねる僕ほどは、感傷的にならない。めげず、落ち込まず、マスターの仕打ちをバネにする。くやしさもみじめさも、明日への糧にする。力まずに自然体、公園のベンチでかじった問題のパンの耳に、母親が作ってくれたおやつを思い出しながら…。
 1行が20語以上あり、それが9行続く長い詞の話し言葉を、だから天童は“泣かずに”歌う。1番と2番で、気持ちの入り方をはっきり変えながら、主人公の思いを伝えてくる。歌声の芯に、彼女の本音がしなっているように聞える。下積み時代の彼女は、日々地方のキャバレーを回った。「みんなそうだった。彼も彼女も…」と、僕がスター歌手の名を挙げたら、「お店がピンからキリまで。あの人たちはピンで歌って、私はずっとキリを回ってました!」天童の返事は、口調がきびしかったものだ。
 『パンの耳』は、フォークっぽい歌謡曲である。イントロで出て来たドブロのほろほろした音色が、終始天童の歌にからむ。ひなびてしみじみと、少し感傷的だが、決して湿っていない軽やかさがる。編曲の若草恵と作曲の大谷明裕が、肯き合う顔が見えるようだ。同時に吉川忠英の顔も思い出した。仰向きに寝かせて弾くギターのドブロを、昔、彼の演奏で初めて見たせいか。
 人々を「アッ!」と言わせる。ただそれだけでは奇をてらったに過ぎない。アッと言わせた上で、相手をどう納得させられるか、それだけの説得力が持てるか。僕は長いことかかわったスポーツ新聞の作り方を、天童のこの歌に重ねて、聞き直したりしている。

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