要は「何を伝えるかが大事」って問題か!

2012年3月9日更新


殻を打ち破れ122回

 「歌も文章も同じでさ、うまい奴は最初っからうまい。持って生れた才能でね、こればっかりはどうしようもない…」

 酔った勢いでそんなことを言い出したら、居合わせた面々が「ン?」という顔になった。反応は似ているが、表情に個人差がある。正月早々、むずかしい話はご免…と押し戻したいタイプ、何を今さら当たり前のことを…と渋面を作るタイプ、いつも、しゃべりだしたら止まらないんだから…と観念するタイプ…。

 「うまい奴とそうじゃない奴との比率は、うんと甘めに見つもって3対7くらいかな。新聞記者や歌い手に向いてるのは、熱心な志願者10人のうち、せいぜい3人。いや、もっと少ないかもしれない」

 ニヤニヤする僕。自分のことはタナに上げての発言なのだが、相手はそろってうそ寒い顔になった。スポニチ時代の仲間や歌社会の友人たち。それぞれが3対7の比率をわが身に引きつけたから事だ。3の部類に入ってるとは自惚れ切れない。だとすれば7のグループの一人、この年になってそんな区分けをされたって、後の祭りじゃないか!

 「問題はその自惚れでさ、どちらかと言えば3のグループの奴に顕著だ。いい書き手だなんて自他ともに許されたあたりでおかしくなる。文章がすべるんだよ」

 「世の中よくしたもんで、7のグループからたまに、いい書き手が出てくる。ちびた鉛筆なめながら長いこと、コツコツ書いてるうちに文章に味が出て来るケース。悪文の説得力って奴だな。この味だけは、うまれつきうまい奴にはとうてい作れない…」

 ま、そう言われりゃ救われるな、俺たちも…と合点するのは新聞屋族たち。それを歌にあてはめるとどうなるのよ…と、先を促すのは歌社会族。

 「生まれつきうまい3の組の連中は、自慢の声や節回しで勝負に出る。得手に帆あげてだから気合いも入る。そこに落とし穴がひとつある。声と節にこだわって頼るから、歌が空回りするのさ」

 「そこへ行くと7のグループは、声も節もいまいち。頼るものがないからばたつくんだけど、中に賢いのがいて、突破口に思い当たる。歌はどう聞かすかじゃなくて、何を伝えるかが大事じゃないのか。そうだとすれば、抜きんでたいい声も節回しも実は、何かをしっかり伝えるための道具でしかないんじゃないかって」

 ――ま、理屈は確かにそうだよな…と、大分酔いが回った面々は、そこから先を引き取ってこもごも話しはじめる。生まれつき才能に恵まれていて、肝心なのは何を伝えるかだと判ってる奴は鬼に金棒だ。その辺を全部、てんからわきまえていて、ひとりでにそう出来ちゃうのが天才なんだな。でもさ、そういうのって何百万人かに一人だろ。いずれにしろ10人中の3人だけが歌手じゃない。ちびた鉛筆なめながら…の7人は、そんな自覚と目標を持たなきゃいけないということか。うん、悪文が説得力を持つ奇跡に賭けて、踏ん張るっきゃない。ここから先もコツコツか、道のりは長いなぁ…。

 正月、気のおけない平々凡々族が大集合するわが家の飲み会は、やがてぐちゃぐちゃの歌手論になっていった。そんな中に目をしばたたせて、日高正人や新田晃也もいた。

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