喜多條忠も、ようやるよ!

2012年9月1日更新


殻を打ち破れ127回

 献立表の裏に、作詞家喜多條忠がちょこまかと、何か書きつけている。隣りの席からのぞくと、どうやら歌の文句らしい。

 ≪鉄は熱いうちに打てということか。それにしても…≫

 と、僕は周囲を見回す。島根県大田市から小高い山へ登った三瓶荘、その広間で開かれていたのは竹腰創一市長主催の歓迎の宴である。喜多條と作曲の水森英夫、編曲の前田俊明と僕らは、そこへご当地ソングを作りに出かけていた。市の売り物は石見銀山、これが世界遺産に登録されて、今年は5周年にあたる。

 少し離れた席で、水森が地元の紳士との会話に、如才なく相づちを打っている。前田は時おり会話からはぐれる。羽田からの機内でやっていたアレンジの続きにでも、気をとられるのか?

 ≪それにしても…≫

 と、僕はまた喜多條を見返す。前夜、インフルエンザの高熱が収まらないと連絡があり、無理するな、いずれまた行く機会を作るから…と止めたのに、それが当日、羽田へひょっこり現われた。かかりつけの医者から強力な薬をもらって、風邪を押し込んだそうで、

 「詞が行かなくちゃ、話にならんでしょう」

 と笑ったものだ。

 石見銀山で採れた銀は、昔、世界で流通する銀の三分の一を占めたと言う。豊臣秀吉ら時の権力者の栄耀栄華を支える財源となり、付近の海には海賊船が出没、もしかすると鉄砲は、種子ヶ島より先にこの辺に出回ったかも…などの俗説もある。話は面白いのだが、当時20万人も居たという銀山の町の気配はまるでない。数多くの坑道が深い木立の中にひっそりとうずくまるばかりで、飯場バクチの荒くれや、遊女宿のにぎわいなどは、想像するしかない“つわものどもの夢の跡”だ。

 もっとも、坑道周辺が手つかずに残され、後世、観光資源にするあざとさも加えられていないところが、自然遺産に認められる根拠になった。ま、環境と学術的、歴史的価値を力説されれば「勉強になるなぁ」と、こちらは合点するばかり。そんな、流行歌向きの艶っぽさなど皆無のところに、傷心のヒロインをたたずませ、そぞろ歩かせるのが、歌書きたちの腕の見せどころということになるか!

 喜多條は結局、その夜は徹夜、朝食の席に一編書き上げた詞を持ち込んだ。

 「もうひとつかな」

 と僕は応じたが、それを“いまいち”と受け取ったのかどうか、喜多條は帰京早々にもう一編を書く。それに水森が“船もの”ふう本格的メロディーをつけて、永井裕子がしっかりと歌った。2曲甲乙つけ難い仕上がりになったが、メインには“後日編”を選ぶ。そつなく地名や土地の花などを書き込んだうえに、ヒロインの生き方に触れるフレーズが奥行きを作っていた。7月に発売、オリコンの演歌チャートで初登場2位になり、

 「1位は関ジャニ∞だから、実質1位です」

 担当の古川健仁プロデューサーから、浮き浮き気分のFAXが届いた。永井は8月に現地でコンサートをやる。尺八が趣味の竹腰市長は、レパートリーをまた1曲、ふやすことになるだろう。

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