『うたびと』池田充男の手練の仕事

2012年9月29日更新


殻を打ち破れ128回

 ♪笑顔があれば しあわせになれる 信じながら 迷いながら 虹のふもと尋ねるような それが人生…

 と、これは聞く人全部に訴える人生観フレーズ。それが大勢の胸にスーッと入って来るのは、詞の目線が率直に平らで、説法臭を持たないせいだろう。

 ≪うまいなぁ…≫

 と僕が思うのは、そのスケールを次の一行で

 ♪おわりのない夢をゆく あゝわたしうたびと

 と、歌い手自身の感慨へ引き込み、すっきりと歌い納めてよどみのないあたり。

 「いいですね、この歌。僕、好きだな」

7月、大阪・新歌舞伎座の楽屋で、友人の役者小森薫が独り言みたいに言った。モニターに映っている歌声の主は川中美幸。彼女の暖かく優しい歌声が、この歌詞を人肌にふくらませ、その心情が若者の胸に届いた気配がある。

 小森は30代後半。体質的には非演歌・歌謡曲世代のはずだが、都志見隆の作曲、若草恵のアレンジがポップス系である。ジャンルの枠組みを越えたノリが、彼の気分を刺激していたろうか。

≪うまいなぁ…≫

モニターの川中に重ねて、僕が思い浮かべたのは詞を書いた池田充男の笑顔だった。

地球という美しい星 こゝにわたしは住む…

という歌い出しの一行が、いつになく肩に力…である。いつもとは違うものを…という意気込みがにじんでのことか。しかし、主人公の心象風景は、故郷、父や母、野に吹く風、ふりつもる雪、それに耐える心…と、ひろがる。池田は自分の人生観を語りながらさりげなく、歌ひとつで川中の人生観まで通底しおわしているではないか!

 僕は一ヵ月、新歌舞伎座で川中と「天空の夢~長崎お慶物語~」で共演、彼女のショーを毎回見届けながら、池田の手練の仕事の確かさを思い返していた。

 8月、葉山の自宅に戻ると、池田からの暑中見舞いの葉書が届いていた。

 「夕立のあと、母ちゃん虹の根っこはどこなんだ…。おまえはバカか、虹はどこまで行っても虹だっぺ…。あれから何十年。今回川中美幸さんで『うたびと』を書きましたが、昔々の母親との会話が原点です」

 体が弱かったから、母親の腰の回りにくっついてばかりいたころの幼時体験が、そのまま生き続けて歌になった。一ヵ所だけある母親の訛りは、僕が育った茨城のものである。僕は葉書を前にしばらく、しみじみとした気分になった。