日野美歌は近ごろ、只者ではないぞ!

2013年1月15日更新


殻を打ち破れ131回

≪ほほう、なかなかのボーカリストぶりではないか…≫

 日野美歌のコンサート。客席の片すみで僕は、メモの手を止め、しばしその歌声に身をゆだねた。『港が見える丘』や『蘇州夜曲』なんて古い曲から、自作自演の『横浜フォール・イン・ラブ』まで、ジャズ仕立ての10数曲が味わいそれぞれの聞き応えである。こんなふうに“飽きさせない”ライブも、近ごろ稀ではないか!

 淡谷のり子の『別れのブルース』には、日野流のアンニュイが漂う。荒井由実の『海を見ていた午後』は、惜別の思いが濃い。オフコースの『秋の気配』は、別れの予感へのおののきがあり、松田優作の『横浜ホンキートンク・ブルース』では、退廃の空気が揺れた。自作はなぜか桜にこだわって『花吹雪』『桜が咲いた』『桜空』など。いずれ若めの感傷がピュアだ。

 この人らしい選曲の妙がある。それを生かすのは、自己プロデュースと演出の確かさ。曲ごとにキイを上げ下げして、それが歌のドラマの設定となる。当てどころを変えて作る何色かの声。息づかいの濃淡は情感のサジ加減。作品の主人公のイメージを立ち上がらせて、それを巧みに自分と重ね合わせていく…。合い間にぶっちゃけおばさんトークをはさんで、ステージに応分の快さと、ほどの良い哀愁がにじむのは、そんな手腕のせいか。

 歌の仕上げ方には「上手な歌」と「いい歌」の二例がある。昔は、持ち前の美声と巧みな節回しを誇示する「上手な歌」が流行した。昨今は、声も節も歌のための道具で、それよりも作品と自分の思いを味わい深く伝える「いい歌」が尊ばれている。そういう意味では日野の世界、誠に時宜を得ていると言えるだろう。

 『氷雨』をヒット曲に持つ。それで「紅白歌合戦」にも出た。1982年と翌年のことで、もう30年も前の話。それっきりの一発屋と思っている向きも多かろう。ところが9年ほど前から、彼女は作詞を始め、個人事務所と個人レーベルを興し、「歌凛」を名乗るシンガー・ソングライターになった。目指したのは「ジャンルにとらわれない、普遍的な歌」で、3年前にアルバム『横浜フォール・イン・ラブ』をリリースする。今回のコンサートは、それがこの秋、コロムビアから再発売されてのメジャー展開イベント。

 僕が彼女を見に行ったのは、10月10日だからかなり旧聞に属する。「8列11番」の席が最後方という小さなホールで、その分だけ日野の歌は膝づめで聞いたことになる。南麻布セントレホールが会場だが、見つからずにあちこち歩いた。やむを得ずレストランの店先で尋ねたら「隣りのビルの3階」と教えらてガクッと来た。

 ≪彼女らしい再スタートか…≫

 後日、アルバムを聞き直しながら、僕はこの人の「いい曲」捜しと「いい歌」づくりの魅力を再確認した。少しラフなところがあり、少し生々しいところがあるが、それがもうちょい「練れて」来たら、ちあきなおみに続く存在になれるかも知れない。そう思いそう書きながら、僕は少しテレた。褒めすぎかなァ――。

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