杉本眞人とすぎもとまさとの 間で、何が起きているのか?

2013年5月15日更新


殻を打ち破れ134回

 「おや?」

 と、聞き耳を立てる。すぎもとまさとのシングル『アパートの鍵』について。3月のあたま、場所は台湾のホテル華泰王子飯店の一室。小西会という仲間うちのゴルフ・ツアー!?の途中だが、やり残した仕事を持ち込んでいた。そこで、すぎもとの歌の表現が、微妙にこまやかになっているのに気づいた。

 歌詞の各行、他の歌手なら歌い伸ばす個所を、例によって無造作に切る。これがいつもだと「ブツリ」という感じなのに、今回は「プツン」である。吐息まじりに“思い”を託すから、次の行の頭も「ガツン」と来ない。自然に歌全体が情感しっとりめで、内省的に仕上がった。ポケットに残ったアパートの鍵、それが思い出させた二年の同棲時代。男も女もどこか、大人になりそこねていた…と、男の回想は苦渋を漂わせる。

 そんな内容だから、歌唱がこうなるのか? 阿久悠の遺作のひとつである。作曲家杉本眞人にはそれなりの敬意が生まれてこうなるのか? それともこれが、ボーカリストとしてのすぎもとの進化なのか?

 都会派ちょい悪おやじのキャラの持ち主である。歌もぶっきら棒で、そこに得難い味があった。新宿育ちの粋がり方か、シャイなマザコンの裏返しか、いずれにしろ見た目のキャラと、歌のそれとが重なり合った独自の世界に、僕はぞっこんだった。

 ≪そう言えば…≫

 羽田を発つ前々日にのぞいた、六本木のスタジオの光景を思い出す。

 「あのよォ、そこんとこだけどさァ…」

 注文をつける作曲家杉本の口調は、いつも通りである。マイクの前に居たのは日高正人で、作品はたきのえいじが作詞、杉本が作曲した『人生山河』という新作。杉本のダメ出しは、歌う語尾の“情”のこめ方が主だった。どうやら「無造作」と「無神経」の違いである。

 「ガキっぽくなるんだよなァ」

 「無表情に聞こえちまうよォ」

 口調はラフだが、指摘は細かかった。もともと不器用な日高は「うん」「うん」言いながら、汗をかいていた――。

 1、2月、名古屋・御園座の「松平健・川中美幸公演」に参加して、僕はその間東京を留守にした。1月28日に開かれた日本音楽著作家連合の新年懇親会も欠席したが、席上で杉本が「ベスト・オブ・ザ・イヤー賞」の表彰を受けたことを、後で知った。

「人の心の機微を山川草木、花鳥風月の抒情に融合させ、その歌謡は大衆の心に深い感銘を与えました」

という文言が表彰状にあり、

「これからも自然体で頑張ります」

と、本人がコメントしていた。僕は歌書き杉本眞人と歌手すぎもとまさとの、二つの名乗り方の意味を、またあれこれと考え始める。

 この会のメイン行事「藤田まさと賞」は『松山しぐれ』で喜多條忠が受賞した。城之内早苗が歌っているが、読み直せば確かに、なかなかの詞である。親交のある喜多條は放浪派のちょい悪おやじ。杉本と彼を並べて拍手する機会を逸したことを、僕はとても残念に思った。

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