さくらちさとがいい仕事をした

2013年11月29日更新


殻を打ち破れ139回

 「あら...」

 と小声で驚きを表わし、会釈して隣りの席に腰をおろした。ピンク系のスーツのさくらちさと。亡くなった星野哲郎の弟子の作詞家だ。

 「よお!」

 一足先についた席から、気安いあいさつの僕。星野には新聞記者時代から長く私淑したから、彼女には兄貴分だ。10月5日午後、渋谷の伝承ホールで開かれた、チェウニの2013秋のコンサートでのこと――。

 『とまどいルージュ』『雪はバラードのように...』『港のセレナーデ』...と、チェウニは一気に歌い始める。1999年の『トーキョー・トワイライト』から14年、折に触れて聞き続ける歌手だから、こちらはゆったり気分だ。ガッと声を張って、歌い回し気味の曲がある。韓国の人の共通点で、強い声にそれなりの自負があってのことか。その声をすぼめ加減に、小振りの歌にするとチェウニ色が濃くなる。『Tokyoに雪が降る』『星空のトーキョー』とデビュー曲の東京3部作。

 ≪この人はやっぱり、この線だな≫

 と、僕は合点する。

 幼な声じみた艶の芯がしなって、独特の哀感をにじませるから、いじらしさの色が濃い。それが歌詞の、都会暮らしの女性の孤独感に通じるのだ。新曲の『雨の夜想曲』にもそれがある。だから、

 「今度のは、なかなかだな」

 前日の演歌杯ゴルフコンペ、同じ組で回った作曲者杉本眞人にそう言ったら、

 「そうかい...」

 笑顔だが、返事は相変わらずぶっきら棒だった。

 「詞もなかなかだよ。うん、いいと思う」

 翌日のこの日、隣りの席のさくらに同じことを言う。

 「はい、ありがとうございます」

 と、作詞者の返事は小声だった。チェウニがこの曲を歌った時そっと盗み見たら、彼女は左手に白いハンカチを握りしめていた。夏海裕子がずっと書いて来た歌手に、初めての起用。杉本メロディーが先に出来て、それに言葉をはめ込む作業にも、かなり緊張を強いられたろう。

 ♪窓をつたう雫 指で数えてみる 空も泣いているの 誰に焦がれて泣くの...

 歌い出し2行で、女主人公の居場所と心境が判る。愚かと言われても断ち切れない恋、ふとした時に不意に切なくなる恋、写真を破るようには、思い出を千切れない恋。泣き疲れて涙もかれて、やがて雨もやむ。ひとり取り残された主人公に、いつもの朝が来る...。

 ≪最後のフレーズが利いてるな。いつもの朝か。それにしてもこの主人公の、いつもってどんないつもなんだろ?≫

 歌を最後まで聞くと、そこのところがジンと来る"詰め方"が、この歌をいいものにしている。

 その日、渋谷は小雨。僕は終演後、ふらっと一人でガード下の飲み屋へ入る。午後4時でもやっている居酒屋。三々五々、おやじたちがしゃべってるのに混じって、去り難い思いを芋焼酎にまぜる。

 ≪あの曲には似合わない店だけど、ま、いいか!≫

 僕は何となく苦笑いをした。

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