新年、歌づくりの変化に期待しよう!

2015年2月7日更新


殻を打ち破れ157


 「賞なんてものは、生涯無縁だと思ってたんだけどね...」

 語尾でニヤッと笑ったから、シャレかと思った。"賞"と"生涯"のショウである。日本レコード大賞の作詩賞を受賞した喜多條忠。受賞作が『愛鍵』で発売当初「今度は当て字か」と、どこかに書いた記憶が僕にあった。歌ったのは秋元順子、作曲したのは花岡優平で、この二人とも親交があるから「ご同慶のいたりだろう。折にふれて名前が出ることは、いいことだよ」と、話がどうしても冗談まじりになる。素直に「おめでとう!」と言えばいいものを、これも性分なのか――。

 「この世界に戻って来て、よかったよな」

 なんて、また言わずもがなのことを言う。中村美律子のアルバムからシングルカットしたのが、『下津井・お滝・まだかな橋』、五木ひろしのアルバムからのシングルの『橋場の渡し』なんてあたりが、彼と僕の仕事のとっかかり。星野哲郎、阿久悠、吉岡治らが病んでいて、僕の歌づくりが駒不足(失礼!)になってもいた。

 「何で俺に、お鉢が回って来るのよ?」

 と首をかしげた彼に、

 「長いこと競艇三昧だったから、お前さん、まだ賞味期限が来てないのよ」

 と、乱暴に答えたものだ。昔、スポニチにいたころ「喜多條先生がよろしくと言ってました」と、よく伝言を持って来たのが、音楽担当記者ではなく、競艇担当の同僚なのが、シャクのタネだった。

 121日夜、帝国ホテルで開かれた遠藤実の七回忌のパーティーでの立ち話。

 「五木さんの『凍て鶴』からだって、もう6年になる。あれは二度も"紅白"で歌ってもらった...」

 喜多條の口調がしみじみとした。『凍て鶴』は三木たかしの最後の傑作として、僕らの記憶に新しい。詞先行で曲があがり、手直しを少々したのが2008年の9月。10月にレコーディングして11月に発売という突貫作業で、五木に翌月の"紅白"で歌ってもらうように頼んだ。

 「いくら何でも。来年の"紅白"じゃだめなの?」

 と聞き返した五木に、僕は

 「たかしは、来年の暮れまではもたないよ」

 と、辛いダメを押した。一ヵ月後、相当な決心で五木はこの曲を"紅白"で歌い、涙ながらにそれを見た三木は、翌年511日に亡くなった――。

 年の瀬、大義なき解散をした衆院選で、世の中は波立っている。政情不安が不信にふくらむキナ臭さの中で、はやり歌評判屋の僕は、ついつい昔話を始める。加齢による回顧趣味と笑わば笑え!だが、いい歌が沢山あったころへの回帰の願いがその芯にある。

 「みんな頑張ってますよ。発注が激減して、僕ら仲間の危機感も強くなってる!」

 演歌・歌謡曲の"これから"を見据えて、語気を強める喜多條は、日本作詩家協会会長の顔になった。そう言われれば常連作詞家たちの作品の水準が、少しずつ上がる気配が確かにある。新年を楽しみにしようか!

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