鏡五郎、渾身の『花火師かたぎ』

2015年9月12日更新


殻を打ち破れ163回

 いい意味の緊張感がみなぎっていた。舞台中央で歌う鏡五郎の眼は、ひたと会場の宙空を見据えている。

 ♪ドカーンと弾けた 夜空を見上げ 為になったら うれしいね...

 前奏から勇壮な花火の音が続いて、新曲『花火師かたぎ』の歌い出し。鏡の歌声は覇気に満ちている。

 ♪人生一度は 命をかけて 勝負しなけりゃ ならないことを...

 と、もず唱平の詞が、男の感慨に移る次のフレーズ。作曲船村徹特有のメロディーが揺れても、鏡の眼差しは動かない。それがふっと、聴衆の席へ戻ったのは、2コーラスめの同じ個所くらい。しかし、彼の視線はまたすぐに、強く高みへ戻った。客との情感のやりとり、芸の差し引きなど全くなしのフルコーラス、鏡の熱唱は終始一途だった。

 612日夜、船村恒例の「歌供養」が今年31回めを迎え、鏡は「懇親会」のメインゲスト格。グランドプリンスホテル新高輪の飛天の最前列中央の席で、船村がステージを見上げる。鏡はそれと正対する形だが、視線は船村の頭上遠くを射すめていた――。

 ≪そりゃあ、気合いが入るはずだわ...≫

 船村のテーブルに陪席して、僕は鏡の胸中を推し量る。夏に似合いのこの作品は、モデルも実在、船村の手許であらかじめ出来上がっていた。彼が歌い手として指名したのが鏡である。もともと古い弟子で、2年ほどの薫陶を得てプロ・デビュー、来年が歌手生活50年になる。その間に、心ならずも疎遠になりがちだった年月があり、50年めのお声がかりで、再び師弟の絆が確認された。

 「コツコツ歌って来た僕に、最高のごほうびを下さったのでしょう」

 歌い終わってのコメントは短めだったが、芸名も船村がつけたいきさつも語られた。「明鏡止水」がこの道の心得と、師匠が教え諭す意味があったろうか。男唄も女唄も演じるように歌って、地味だが芸達者に育ったのが鏡の世界。しかし、この夜のこの歌には、花火師の気概に彼自身の覚悟のほどが重なって、凄いくらいに生一本だ。

 船村は弟子たちが歌うと、照れたように視線を泳がせる。相手が北島三郎でも鳥羽一郎でもそうだが、この夜の鏡の場合も同じだった。違ったのは鏡の歌を聞き終わって、眼鏡をはずし顔を拭ったあたり。拭いたのはおそらく涙で、弟子の真摯な姿勢はしっかりと、師の胸に届いた気配があった。

 戦後70年、船村がこれまでに書いた追悼、哀惜の作品も、この夜披露された。『草枕』『南十字星の下で』『満州の子守唄』『花供養』『白い勲章』などで、歌ったのは弟子の森サカエ、静太郎、天草二郎、走裕介、大門弾ら。船村は女囚の心歌『のぞみ』を歌って座を圧倒した。『歌は語るもの』の情趣が、会場のすみずみまでをひたしたものだ。

 427日、日光市にオープンした船村徹記念館の盛況も、斎藤文夫日光市長のあいさつで報告された。5月までの入場者15千超。当初目標の年間5万を半年で達成しそうな快ペースと言う。ご同慶のいたりではないか!

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