比叡山延暦寺で出口美保を聴いた

2015年9月12日更新


殻を打ち破れ164回


 話し方に「訥弁の能弁」というのがある。トツトツとした口調に微妙な間(ま)があり、ちょっと見には話し下手に聞こえる。これが曲者で、独特のペースで聞く人を次第に引きつけていく。耳を澄ませば、意味あい深いフレーズが多く、内容は含畜に富んでいて、時に上滑りなおしゃべり、能弁をはるかにしのぐ。それと気づいたころにはもう、聞き手はその人の虜になっている。魅力は人間味だ――。

 関西の名うてのシャンソン歌手・出口美保のステージを見ながら、僕はそんなことを考えた。歌の多くがほとんど呟くような口調で、それなりの心の抑揚を伝えながら続く。キイは男と同じで、声は太く、リアリティを持った存在感が説得力につながる。僕とほぼ同い年のベテランだから、戦後の昭和を生きた浮き沈みまで透けて見える境地だ。

 しかも今回は、歌う現場が比叡山延暦寺の根本中堂である。625日、僕は彼女の奉納コンサートにいそいそと出かけた。新聞記者くずれの悪癖で、会場の予備知識は行きの新幹線の中という付け焼刃。標高848メートルの山全域を境内とする寺院、国宝で世界文化遺産で、宗派は天台宗、開基が最澄で道元、親鸞、日蓮もここで修業した。戦国時代、織田信長が焼き打ちした時は僧兵4000人が抵抗したらしい...。

 ≪えらいところで歌うもんだ≫

 そう感じ入りながら「根本中堂」は「こんぽんちゅうどう」と読むことは、会場に着いてから人に教わる。活字資料には読み方までは書かれていない。

 周囲ひと抱えもあろうかと思う巨杉の林立を抜けて、舞台は回廊の先の本堂。大きなローソク8本の灯が揺れるのに囲まれて、出口は歌う。全身を包む黒のたっぷりめのドレスは、法衣にも見えてくる。銀髪で小太り、歌の合い間のトークで、ふっと見せる微笑は童女のよう。伴奏はキーボード、ギター、ウッドベースの3人。曲目は『人の気も知らないで』『時は過ぎゆく』『過ぎ去りし青春の日々』『アコーディオン弾き』『君を待つ』『泣く友を見る』...。

 シャンソンに限らずこの人は、心をあずけて日本の歌も歌う。例えば『真夜中のギター』や『希望』など。場所が場所のせいか、僕が思い浮かべるのは親交のあった作詞家の吉岡治や作曲家のいずみたく、歌手の岸洋子らの顔。この作品を残して、早めに逝ったあの人たちへ、鎮魂の思いがよぎるのだ。出口の歌に色濃い悔恨や苦渋、慈愛の味わいがそれを誘うのか? 彼女に正対して聴く僕の背にしのび寄ったのは、深山の夜気か、それとも霊気か?

 知人が申し入れをしたら「それなら6月中に」と寺側が応じたという。7月からは足場を組んで、10年がかりの改修が始まるせい。だからコンサートの準備は一ヵ月の大忙し。

 「ご本尊に背を向けて歌う形になったでしょう。申し訳なくて...」

 終演後出口は、身をちぢめてそう話した。歌う間中、何か温かい気配に包まれていたとも話した。

  観光客用の施設、延暦寺会館ロビーで、作詞家いではくの色紙を見つけた。

 「荒行千日、比叡の風を、受けて歩いた、山道万里」の4行。北島三郎が歌った『比叡の風』の一節である。

 「ふむ」

 僕は何だか、この霊山が身近になった気がした。

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