「地方区の巨匠」佐伯一郎を激励する。

2015年11月15日更新


殻を打ち破れ166回

 佐伯一郎のコンサートを見に行ったのは、8月16日、浅草公会堂。「見に行った」と言えば聞こえがいいが「飲みに行った」が実情で、楽屋を訪ねると茶碗酒が出るのがいつものこと。それが今年はステージを見ずじまいで、そのまま打ち上げの席へ直行した。午後1時の開演。佐伯の弟子たちが賑やかに歌を競い、特別ゲストで畠山みどりも出るから、彼の出番は最後だろうと、4時ちょっと前に会場へ入ったら、何たること、佐伯は開演直後に歌っていて、もう後の祭り...。

 「11曲くらいやったかな、声もちゃんと出ていて、なかなかのものだったよ」

 と、教えてくれたのは元キングレコードの赤間剛勝さんで、

 「そうそう、渋くてとてもよかった」

 と相づちを打ったのは元ソニーの酒井政利さん。みんな佐伯とは古いお仲間だ。

 僕は長いこと佐伯を「地方区の巨匠」と呼ぶ。浜松を根城に、歌を歌い曲を書き、大勢の弟子を育て、そのためのレーベルも持って、東海地方に勢力を張るせいだ。若いころは作曲家船村徹によしみを通じ、共演のアルバムも作った。そう言えば北原ミレイが最初に師事したのもこの人だった。

 インディーズというジャンルにくくられて、地方で歌い続ける歌手は昨今珍しくもないが、佐伯はその"はしり"の大ベテラン。それが楽屋を伝い歩きしているからびっくりした。聞けば4回目の脊髄手術をして、まだ回復の途中。それが舞台では、やおら椅子から立ち上がり、歌いながら歩いて弟子たちの気を揉ませたとか。スイッチが入った時の芸人の凄味か。

 「いい顔をしてるわ、相変わらず...」

 と、いきなり佐伯に言われて思い出した。この人は骨相を観て、歌謡界に信奉者が多いが、僕は彼から、

 「あんたの老後は安泰、これまで面倒を見た人がいろんなチャンスを運んで来るよ」

 というご託宣を貰ったことがある。スポーツニッポン新聞社を卒業した時、仲間がパーティーを開いてくれたが、1000人もの知り合いが集まって、本人がびっくりしたあの騒ぎ。彼はスポットライトを浴びた僕の骨相を、人ごみの中でしっかり観ていたらしい。

 ≪確かに当たっていたわ≫

 と、僕は思い返す。その後15年、80才間近かなのにまだ歌社会の人々に良くして貰い、舞台役者の仕事も川中美幸、アルデルジロー我妻忠義社長をはじめ、東宝現代劇75人の会の横澤祐一、大衆演劇の沢竜二ら多くの人から声がかかって、もう10年になる。感謝々々の日々なのだ。

 「その後、俺の骨相は変わっていないということだな!」

 僕は佐伯にそんな念押しをした。

 長く続けた浅草公会堂の彼の公演は、今回が最後だと言う。年が年だし体が体で...と、舞台で宣言もしたそうな、浜松では唄い続けると言う佐伯に、

 「何を言ってるの。年だって俺とちょぼちょぼ、体はリハビリ次第だろ」

 「それなら来年からは、佐伯一郎一座でひと芝居打とう!」

 と、僕は乱暴な激励と提案をした。酔ってのたわごとではない。浅草から「地方区の巨匠」の顔が消えるなんて、寂しいではないか!

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