快哉!森サカエの絶唱と新田 晃也の新境地

2016年12月17日更新


殻を打ち破れ169回

 70才を過ぎてなお、独自の進境を示す歌手がいる。少し驚き大いに感じ入った相手は新田晃也。1210日夜、東京・九段のホテルグランドパレスで開かれた、彼のディナーショーを見てのことだ。

 『寒がり』『振り向けばおまえ』『母のサクラ』と、このところ連発しているオリジナルの歌唱が、情を濃いめににじませて、なかなかの味である。71才、歌手生活が50年、もともとこの男は、衰えぬ高音の美声と覇気が身上だった。それが、よく響く中、低音で歌を「語る」味わいを深くしている。

 ♪こんな名もない三流歌手の 何がおまえを熱くする...

 と、新田が自分で詞も書いた『友情』が、以前から僕は好きだった。福島・伊達市から集団就職列車で上京、銀座の弾き語りで売れっ子になり、以後演歌のシンガーソングライターとして、頑固に巷で歌って来た。あえて自分を「無名」「三流」と位置づけて、その意地と芸とを世に問おうとした生き方が頼もしかった。

 その心意気と歌の巧みさを良しとして、長いつき合いをして来たが、

 「もう、いい加減にしろよ」

 と時に文句も言った。長尺ものの『俵星玄蕃』や絶唱型の『イヨマンテの夜』などに熱中することについてだ。この種の作品は、ナマのステージで聴けば派手なメリハリで大向う受けはする。だからと言って声と節に頼り、力量を誇示するのは昔々のやり口。もっと優しく聴く側の心に語りかけるのが、流行歌の昨今だし、そういう時代になって来ている。

 この夜の新田には、方向を変えた気配が顕著だった。自慢の高音はいなし気味で、中・低音を軸に唄うから、故郷や母への想い、傷心の者同士のいたわりの気持ちが説得力を増した。いつもなら仲間気分で大騒ぎする常連客が、静かに聴き入ったのも、そんな変化に誘われたせいではない。どうやら新田は時流をつかまえたのだ!

 新田の進境には、作詞家石原信一の詞が影響しているように思える。新田が伊達なら石原は会津若松の福島県同士。最近の連作で石原は団塊の世代の心情を新田に託し、同時に新田の心境に寄り添った詞を書いて、二人は意気投合している。そんな感興の中で新田が曲を書き、自分で歌う作業で、彼は何かしら新しい手応えを得た気がする。

 石原も古い友人だからあえて書けば、彼もメーカーの注文に応じる作品とは、相当に異る詞を書くチャンスに恵まれている。新田・石原の共作に息づいているのは、同郷、同世代の男たちの実感と心情だ。そんな要素が紙背にあることは、歌づくりの原点だから、僕は快哉の拍手を送りながら、この夜の酒を味わった。

 それより5日前の夜も、僕は快い酔心地を体験している。渋谷シダックスの東京メインダイニングのディナーショーで、森サカエを聴いたのが126日。お互いに孫も居るいい年をして、僕らは「ダーリン!」と呼び合いじゃらじゃらする仲だ。「遊びにおいで」と誘われて、彼女のジャズをたっぷり聴いたが、やっぱり白眉は星野哲郎作詞、船村徹作曲の『空』。これをナマで聴きたくて彼女の追っかけをやっているのだが、この夜も彼女が精魂こめた歌唱の祈りに貫かれた世界に、僕は身じろきも出来なかった。