カバコが「音楽健康指導士」になったぞ!

2016年12月17日更新


殻を打ち破れ171回

 やたらに気安く「カバコ!」と呼びならわす歌手がいる。作詞家もず唱平の弟子で高橋樺子。本当は「ハナコ」と読むのだが、白樺の樺だから、僕は面白がってそう呼ぶ。まだ無名だが東北へ行くとちょっとした有名人。東日本大震災以後もう5年近く、被災者の慰問、支援に通いつめて、立場が逆転した。今や現地の人々が「オラたちが育てるハナちゃん」として、めいっぱいの応援ぶりなのだ。

 きっかけは震災の直後、もずが発案、仲間の作詞家荒木とよひさ、作曲家の三山敏、岡千秋が呼応して作った『がんばれ援歌』で、楽曲の権利すべてを支援の寄金とすることが話題になった。それを歌った高橋が、もずの秘書保田ゆうこと、せっせと東北へ通った。仮設住宅に泊まって膝づめ、生活まるごとの交歓に地元の人々が胸襟を開く。その勢いから仙台で「仮設住宅住民交流会」が生まれた。市内八つの仮設の人々が、初めて横のつながりを持ち、『がんばれ援歌』を歌い踊る賑やかさだ。

 こうなると、情が濃い東北の人々が動く。高橋の新曲『母さん生きて』の発表会や、高橋主演の歌と語りの催し「女の昭和戦記」があれば、その都度バスを連ねて上京、応援の気勢を挙げる。後者は芸術祭に参加したからびっくりしたり喜んだりの大騒ぎだ。いつも赤いポロシャツに白スラックスの「震災支援型歌のお姉ちゃん」が「被災者応援型アイドル」になった。歌をはさんだ支援、応援が双方向性を持った珍しいケースだろう。

 一月、僕が大阪・新歌舞伎座の川中美幸新春公演に出ていると、高橋と保田が差し入れに現われた。昼夜2回公演の合い間の昼食に、あれこれ相談しながらの献立て。師匠のもず唱平と僕の、長い親交が背景にあるとしても、すっかり身についたボランティア精神、どうやら僕は彼女らの支援のターゲットの一つになっているらしい。

 その高橋が「音楽健康指導士」という、耳慣れない資格を取って、その証明カードを見せてくれた。介護予防、生活機能改善を行なうために「うたと音楽」を最大限に活用する知識と技術を習得したらしい。主唱しているのが一般社団法人日本音楽健康協会で、設立されたのが平成267月。名誉会長に保志忠彦、代表理事に林三郎の両氏の名がある。驚いたことにおなじみ第一興商が社会貢献に乗り出しているのだ。

 音楽健康指導士は、協会が認定した音楽健康セッションのプログラムづくりや実践指導を行なうという。高齢者と地域を元気にする活動だから、「東北のアイドル」高橋にはうってつけ。

 「明日からはまた仙台や福島へ行くので、もう来られなくなりますが...」

 僕の大阪役者ぐらしの終盤、そう宣言!?した高橋と保田は、明るいいい笑顔を作った。個人レベルだった支援行脚に、新しい具体的な目標が出来たことが心強いのだろう。

 僕の友人のカバコは、不思議なキャラクターの歌手として、大成への道を一歩ずつ歩いている。大阪生まれで東北が地盤、新しいタイプの高齢社会の星になるのだろうか? それにしてもこんな事業に乗り出した第一興商の諸氏、なかなかにやるではないか!