村木弾の男振りをヨイショする!

2016年12月17日更新


殻を打ち破れ172回

 ≪いいじゃないか!気張らず力まず、すっきりと、いい歌い振りだ...≫

 新人村木弾のデビュー盤『ござる~GOZARU~』と『北の男旅』を聴いて、僕は胸を熱くした。「船村徹最後の内弟子」がキャッチフレーズの青年である。船村作品を多く歌い恩義を感じている舟木一夫が、身許を引き受けた。そのうえプロデュースと作詞もやる気の入れ方。作曲はもちろん船村で、芸名はこの二人から一文ずつを貰った。巨匠の身辺でこまめに仂いて12年余、村木に巡って来た大きなチャンスだ。

 船村一門の内弟子は、付き人や車の運転手をはじめ、秘書やマネージャー、料理人までを兼ねる。常時一緒に生活して、実の息子以上の日々。その中で歌い手としてよりも、まず一人の若者としての人間性を磨く。古風とも言える育て方だが、それが船村精神なら弟子たちは、一途にその教えに従う。学ぶことは見よう見まね、教わるよりは盗めで、師は彼らのお手品として、全生活を彼らの眼にさらすのだ。

 船村の知遇を得ている僕は、しばしば酒席をともにする。内弟子の村木は実にさりげなく僕の面倒まで見てくれた。気配を察知して、すっと動く。その気配り、気働きは見事なくらい。彼が内弟子12年なら、彼と僕のつき合いも12年で、その間ずっと彼の言動、挙措は変わらなかった。

 ≪だから歌を、こういうふうに歌えるのだな...≫

 と、僕は合点する。『ござる』は男の生き方を、侍言葉を語尾に使って表現する風変わりな作品。コミカルなサウンドをバックにして、背筋のばした村木の歌には、軽妙さと新鮮さが同居している。今どきの若者たちにも通じそうな、率直さと闊達さが魅力。カップリング曲は、詞が喜多條忠に代わって、こちらは船村演歌の本筋。それを苦もなく歌ってしまうあたりに、彼の力量のほどが示されている。

 ≪また歌手の弟分が一人増えたことになる≫

 昭和38年、新聞記者として船村に出会って以来、僕もその身辺で盗み学ぶ親交を許されて来た。船村歴53年、長く弟子を自称しそれも認められているから、村木は弟弟子に当たる。歴代の内弟子で歌手デビューした鳥羽一郎、静太郎、天草二郎、走裕介らはみんな、呼び捨てでつき合う兄貴分気取りが続く。その末弟の村木が"最後の内弟子"になった。船村も80歳を越えて、そうそう弟子を育ててばかりもいられなくなったのだろう。作曲界の大御所としては、果たさなければならない役割や仕事が、まだ多岐にわたってもいるのだ。

 ≪末っ子はかわいさが増すものだそうだし...≫

 村木について語る時の、船村のしみじみした口調と笑顔に、僕はそんなことも考える。

 昨今の歌謡界はイケメンばやりである。女性たちは老いも若きも、彼らを自分たちのアイドルとして支持する。こんな時代だからせめて、甘く優しいキャラクター相手に、それぞれの夢を見るのも悪いことではない。しかし、そんな流れの中へ、村木弾は、ごついくらいの男振りと、性根の据わった男の頼もしさで割り込んでいく。こうなると彼の存在感が、歌謡ファンにどんな化学変化を起こすのか、大いに楽しみではないか!