夏一夜、長編歌謡浪曲に酔う!

2016年12月23日更新


殻を打ち破れ176回

 ≪へぇ、22分もの歌謡浪曲を作曲して、そのデモを弦哲也が全部歌ったってか...≫

 中村美律子と話していて、僕はかなり驚いた。彼女の30周年記念の長編『無法松の恋~松五郎と吉岡夫人~』についてだが、このヒットメーカーの仕事ぶりは、実に何とも半端ではない。挿入歌を書いて、あとは中村が師匠春日百合子譲りの関西ふう...なのかと思っていたら、とんでもない話。浪曲の節も全部作って、曲師がやる部分もギターで巧みにやったそうな。

 歌詞も語りパートも、演出家の池田政之が脚本を書き構成した。彼女の長期公演を手がける人だから、あうんの呼吸。しかも最近の大阪・新歌舞伎座公演が一緒だったから、手っとり早かったらしい。しかし、長過ぎるのを大分手直しし、曲のつけ方次第でまたあれこれ。おおよその寸法を決めたあと、今年の正月、休暇で出かけたハワイで弦が奮闘したと言う。そう言えば千葉の中学時代の教師の紹介で、弦が最初についた師匠が浪曲の春日井梅鶯だから、"その気"になるのも無理はないか。

 名だたる浪曲師はそれぞれ、独自の節というかメロディーというかを持っていた。ごひいき筋はその魅力にどっぷりつかって、やんややんやになるジャンル。ところが今回の美律子節は、それらのどれとも違った。改めて聞き直せば、いかにも弦らしい優雅なメロディーで、奇をてらわぬメリハリも穏やかめ。はったりを避けじっくり聞かせる心根のやさしさに気づく。この人は浪曲にまで、彼ならではの世界を作ったことになる。

 中村が浪曲の修行をしたのは、高校を卒業した前後から。大阪のキャバレーで歌っていてもヒット曲を持たぬ悲しさ。一家の家計をになう身が、いつまでもつかが気がかりだった。そこで思いついたのが浪曲で、これなら年をとっても歌っていける。春日百合子に師事したのは、実は生活のためだった訳だが、功なり名とげて30周年、積み重ねて来た芸が今回、こんな形で実を結んだかっこうだ。苦労は買ってでもしておけと言う例のひとつになるではないか!

 浪曲は①声 ②節 ③啖呵という。啖呵には語りの妙も含めるだろうが、中村には中村の語り口や間(ま)がある。それに合わせる編曲は南郷達也がやったが、ものがものだから、楽譜にきっちり書き込んだやつでは、面白みがない。いきおい現場対応のアドリブ性が必要になるが、南郷はそれがお得意。ミュージシャン群と中村の間に入って、こうしようか、ああしてもいいか...になったらしい。僕も日高正人の作品でライブ感覚録音を一緒にした経験があるから、彼の笑顔が目に浮かぶようだ。

 「時間と手間はかかったけど、いい先生方との出会いに恵まれて...」

 と、中村は言葉少なだが、応分の達成感と自負が顔色に出る。何はともあれめでたい...と食事に誘ったら、

 「たしか、のどぐろがおいしいお店が...」

 と、彼女は10年も前の世間話を覚えていた。20周年記念のアルバム『野郎たちの詩』をプロデュースした時のことだから、僕は恐れ入って銀座の行きつけの店"いしかわ五右衛門"へ案内した。そこのお女将がまた、大の中村ファンだったものだから、大いに盛り上がって、中村は飲めないはずの酒を少々...の上きげんな一夜になった。