合縁奇縁、八代の「JAMAAS」

2017年3月5日更新


殻を打ち破れ182回

 モンゴルと日本の友好関係は、よく判っているつもりだ。民間レベルでも大相撲で活躍する力士は多いし、『北国の春』をはじめ、こちらの流行歌があちらで愛されてもいる。

 そこへ、八代亜紀の『JAMAAS 真実はふたつ』である。何でまた今時、何やら深遠なテーマの歌を...と、いぶかしい気分でCDを聞く。あちらの楽曲に伊藤薫が詞をつけて、アレンジは若草恵――。

 ♪思えば倖せも 命さえ借りた物ね いつか訪ねて来られたら 感謝して返しましょう...

 おおらかな、いいメロディーだ。モンゴルの大草原からは、こういう曲が生まれるのだろうか。それに乗って主人公の「わたし」が、誕生と死を、エピソードで語る。その間にはさまっているのは、これまたおおらかな生死観と宇宙観だが、八代のしっとり人肌の歌声が、聞く側の心をなごませてドラマチックな55秒。

 このところジャズを歌ったりして、売れ線ソングづくりを離れて見える歌手だ。もうベテランの域に入って、マイペースの音楽活動。そんな中ではこういう歌もまたいいか、彼女らしいと言えば言えるし...と、僕はようやく合点する。それにしても今、なぜモンゴルなのか?

 添付された資料の大束亮氏(駐日モンゴル国大使館 モンゴル語通訳)の一文が、その謎を解いてくれた。2012年、二度めの駐日大使になったフレルバータル氏夫妻と八代は、20年来の知己。夫妻は八代の歌のファンだと言う。それに加えて八代とこの楽曲の出会いには、後に二人の文化人がはさまる。モンゴルの民主化運動の指導者で、この歌の作詞者のドグミド・ソソルバラム氏と日本の画家・新月紫紺大氏。二人とも大使と親交があり、この楽曲をぜひ日本で!と盛り上がったらしいのだ。

 二つの国にまたがる人間関係が、長い年月をかけて八代とこの歌に辿りつく。そこにまた、僕の個人的な縁まで重なるからびっくりする。大使夫妻と八代の交際のきっかけになった曲が『舟唄』で、今回のCD制作を実現したのは音楽プロデューサーの新田和長氏。『舟唄』は海の男の孤独を歌い、大草原で生きるモンゴルの人々の思いと、相通じるものがあるという。はばかりながらこの曲は、38年前の昭和54年に僕がプロデュースした作品。新田氏とはそれよりもっと前から親交があった。東芝時代からのヒットメーカーで、後にレコード会社・ファンハウスを興したやり手だ。

 そう言えば『舟唄』を大晦日の「年忘れにっぽんの歌」で、久しぶりに八代の生唄で聞いた。元日には、ここ何年か会っていない新田氏に「ごぶさたしてるけど、元気ですか?」の便りを書いた。双方とも全くたまたま...の行きがかりだが、八代の新曲で一ぺんに生々しく景色が変わった。「それでさァ...」と語りかけてくる八代の口調や新田氏の笑顔が、眼に見える心地がするではないか!

 『JAMAAS』の後半には、浪曲調のアンコが入っていて「諸行無常」や「輪廻転生」の言葉が並ぶ。モンゴルの曲に浪曲なァ...と取り合わせの妙にニヤリとするが、草原の民の生死観に日本的な諦観を重ねたということか。流行歌は誕生秘話が多いほど興味深い。この曲は二つの国を結ぶ縁の賜物だからなおさらだ。

月刊ソングブック