「小池劇場」とやらの賑いが止まらない。東京の千代田区長選など、小池都知事が後押しをした現職がトリプル・スコアで圧勝した。7月の都議選が大変になる。自民党ボス内田茂氏は引退に追い込まれたと、スポーツ新聞までが大騒ぎだ。
♪漁師に生まれて よかったね~
脈絡もなく流行歌の一節が口を衝いて出る。鳥羽一郎の『海峡の春』だが、僕はこれを作曲した岡千秋の歌で覚えた。生前の作詞家星野哲郎のお供で、岡と作詞家里村龍一と僕は、せっせと北海道の鹿部町へ通った。酔えばいつも岡がこの曲を歌い、地元の漁師たちは「俺らのテーマソングだ」とすっかりその気。海の男の心情が星野ならではの歌詞で、それが彼らを酔わせるのだ。
実は人口5千人弱のこの漁師町で、千代田区長選と同じ2月5日に、町長選があった。現職が退いて新人候補2人の一騎打ち。その一方が鹿部詣で組と仲良しだったから、僕らは東京で大騒ぎになった。
「あの、祈!必勝って看板つきの花を連名で届けよう」
「星野哲郎の名前を大書して、贈り主が長男有近真澄って手もある」
「陣中見舞いの酒も要るな。いつもはあまり雪が降らない鹿部も、このところずっと吹雪らしいぞ」
候補者そっちのけで、いつもの酒盛りみたいなノリだ。
星野はこの町で"海の詩人"のおさらいをした。払暁出船の定置網漁に加わり、帰港すればとれとれの魚の番屋飯。船の揺れ方を体に残したまま、漁師たちとゴルフに興じ、ひと風呂浴びれば夕方からもう酒宴。
「体にな、潮の香を染み込ませるんだよ」
温顔しわしわの微笑で、星野はご満悦だった。そんなツアーが20年以上続いたが、いつもその周辺で甲斐々々しく手伝っていたのが今回の候補者、勤勉実直、人柄穏和な好青年だった。
星野の没後もツアーは続いている。観進元の町の有力者・道場水産の道場登社長が寂しがり屋で、
「お前らが星野先生の名代で来い!」
と、漁師言葉こそ乱暴だが、口調には情が濃いめだ。そんな社長を僕らは"たらこの親父""呑ん兵衛の登ちゃん"と呼びならわして、親交が続く。星野は昨年が七回忌だったが、詩人が紡いだ縁と絆は途切れることなく、例の青年は町役場でいろんな役目を体験、最近は副町長になっていた。
「それにしてもあいつ、大丈夫かな?」
「それなりの準備、目配りはして来てるだろ」
「いずれにしろ、舎弟分が町長ってのも、悪くねえよな」
遠い鹿部の票読みなど出来っこないまま、僕らは身内の期待と不安のハラハラ状態。そんな耳許でいつも聞えていたのは、鹿部の進軍歌『海峡の春』だ。
そして、投開票の5日夜遅く。2月の芝居のけいこから戻った僕が聞いたのは「残念ながら...」の留守電だった。そうか、もともとあいつは星野に心酔するくらい純な奴だったしな。漁師町でもそれなりの権謀術数はあったはずで、あいつはそれが苦手だったか?しかし、たらこの親父は今、どんな気持ちでいるだろう?と、今度はそんな心配まで先に立った。惜敗、傷心の佐藤明治はまだ56歳、その青雲の志は、これからどういう道を手探りして行くのだろう?
