「そろそろ、またやりましょうか」
と、ビクターの菱田信ディレクターから声がかかる。
「そうだな、もうそんなころあいか...」
と、僕が応じる。電話のそんなやりとりで、ありがたいことに花京院しのぶの歌づくりが始まる。カラオケ熟女の一部に熱心なファンを持つ"望郷シリーズ"だが、さて何作めになるか...と、僕は指折り数えたりする。
歌社会のパーティーで、作詞家の喜多條忠に会う。帰りのエスカレーターで、
「花京院、またやるわ。タイトル決め打ち『望郷五木くずし』で、考えてみてよ」
今度は階下へ移動しながらの立ち話である。相手は押しも押されもせぬ日本作詩家協会の会長、ずいぶん失礼な作詞依頼と思われる向きもあろうが、友だちづき合いが長く、ゴルフと酒で遊ぶ小西会の有力なメンバーだから、双方気安いタメグチの仲だ。
「曲は水森英夫に頼む。前作を書いて貰ってるから、狙い目はよく判っているよ」
「そうなの。だけどそのタイトルじゃ、五木さんからもう注文は来ないかもな...」
詩人がジョークまじりで答える。彼と組んで僕は、五木ひろしの『凍て鶴』や『橋場の渡し』など何作かプロデュースした。ことに『凍て鶴』は、若くして死んだ作曲家三木たかしの最後の傑作と、僕らは胸を張っている。その五木を"くずす"のか?と、喜多條は内心、おもんばかったらしい。
水森とも古いつき合いで、花京院では前作『望郷よされ節』を書いて貰った。その時に、このシリーズは徹底してカラオケ上級者向けと説明した。音域は広くていいし、曲は長くてもいい。歌えるものなら歌ってご覧よ!と、熟女たちを挑発したい。どの道花京院は、テレビに出すよりは、カラオケ草の根行脚で活路を開いている歌手。楽曲がカラオケ達人たちに歌われさえすれば、彼女の名前は後からついてくる。
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれって奴さ」
と強弁する傍らで、本人がニコニコ笑っているから、当初水森は「そんなのありかよ」と呆れたものだ。
そんな狙いのシリーズを花京院は、2003年10月『望郷新相馬』でスタートした。出身地仙台で20年も、コツコツと地盤づくりをした後の遅咲きである。応分の力を付けた上で、歌謡界にそれなりの居場所を作らせたいと、地道な活動を支えたのは島津晃という人で、昔々、岡晴夫の前唄歌手からマネージャーに転じた昔気質だった。
それから14年、彼女は『望郷やま唄』『望郷あいや節』『望郷さんさ時雨』『望郷よされ節』『佐渡の舟唄』などを歌い、『お父う』をカラオケ定番曲に育てた。流行歌の流れの中にはいつも、民謡調演歌の椅子がひとつ用意されていて、時おり大ヒットを生む。CD不況が長い昨今だが、花京院はそんなヒットの鉱脈をひたひたと歌い、一定の成果を挙げ続けているのだ。
『望郷五木くずし』は『五木の子守唄』がモチーフ。作詞喜多條忠、作曲水森英夫、編曲南郷達也、制作菱田信の情がこもった仕事ぶりで、手前ミソだが、相当にいい作品に仕上がった。8月発売、お陰で花京院は、亡くなった島津氏の墓前へ、お盆のいい報告が出来たことだろう。
