エドアルドの『竜の海』に 興奮している。

2017年12月2日更新


殻を打ち破れ191回

≪よし、この1曲であいつの世界は決まったな≫

  エドアルドの新曲『竜の海』を聞いて、即座にそう思った。海の男の生きざまを描いて、石原信一の詞がいい。1コーラス5行、カッチリと無駄のない表現。作曲の岡千秋も力が入っている。ズン!と鉈で切り込むようなメロディーは、彼お得意の骨太だ。前田俊明のアレンジも、いつもの手慣れた線を離れて勇壮の趣き。いわば三位一体、作品に恵まれたエドアルドの歌が、活力と覇気を示してなかなかの仕上がりなのだ。

 エドアルドはブラジル育ち。NAKの全国大会で優勝して、日本に住みついた。それ以来、ずいぶん長いこと苦節の日々を送った。驚くのは体型の変化。当初力士みたいだった肥満体が、いつのころからかすっきり二枚目になった。NAKの審査を長くやっているから、大会の都度顔を出す彼の変わり方はずっと見て来たが、

 ≪半分くらいになっちまった!≫

 エドアルドの体の絞り方は「ダイエット」などという生半可なものではない。文字通り体を削って彼は、プロ歌手へのスタートラインに立った。

 デビュー当初、彼の歌のテーマは「郷愁」だった。母への思いや故国への思いを語る。ブラジル出身の青年が、異国の日本で歌手になるのだから、そんな作品で日本の歌手との差別化を計ったのだろう。それはそれで成功して、歌謡界の一角に彼らしい立ち位置が作れた。さて、その次が問題だ!と、僕は考えていた。日本の歌手たちの向こうを張って、頭ひとつ抜け出すための「攻め」の歌をいつ、どういう形で作るのか?

 石原信一とは、もっと古くからのつき合いである。彼が大学を出て物書きの世界を目指したころ、僕が仕切っていたスポーツニッポンの、若者のページの常連執筆者になった。言うところのノンフィクションライター、それがフォーク畑の人々と親交を持ち、森昌子の『越冬つばめ』でスマッシュヒットを出す。今では演歌・歌謡曲ひとかどの書き手。藤田まさと賞を獲り、作詩家協会の幹部になったが、親密な間柄のせいか、彼の詞の器用さに僕の採点はずっと辛めだった。それが――。

 ≪いい詞だ。彼の代表作になる!≫

 『竜の海』を聞いて僕は膝を叩いた。北の海の夜に走る稲妻、ひびく雷。それを「鰤起こし」として、勇む能登の男が血をたぎらせ船を出し、ついには「海を獲る」と言う。海の男唄に特異な題材を持ち込んで、これはもう"海の詩人"の星野哲郎の仕事を思わせる出来栄え。雪が舞う日本海の光景が眼に見えるようで、なによりも筆致が若く勢いがある。

 エドアルドの歌がそのうえ、真一文字なのだ。声に頼らず節を誇らず、すっきりと男の気概を伝える。海の"あらくれ"を表現しながら、どこかに端麗さもある。いってみれば躍動の陰の抑制。それが日本の歌手の漁師唄とは一線を画していようか。ブラジル日系人の歌は、率直だとNAKの大会を聞く度に感じていた。お師匠さんが歌の枝葉をあれこれいじらないせいだ。エドアルドのそんな生地が生きた作品、大分ほめ過ぎとも思うが、友人たち4人の力較べである。僕は久しぶりに興奮している。

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