同期生・三沢あけみを聴く!

2018年5月3日更新


殻を打ち破れ196回

 三沢あけみのアルバムを聴いた。『私の選んだ作品集』というタイトルに、ニヤリとしてのこと。彼女が50年を越す歌手生活を振り返り、あれにしようか、これも入れておきたい...と、作品選びをする風情が眼に見える。それにまつわる思い出も、あれこれ浮かんだことだろう。恩師の作曲家渡久地政信の笑顔も一緒に――。

 CD2枚組、27曲が収められている。いい作品が多いことに、改めて気がつく。『島のブルース』や『アリューシャン小唄』が代表作だが、デビュー曲の『ふられ上手にほれ上手』が放送禁止曲だったエピソードつき。どこがどう放送にふさわしくなかったのか、今になっては見当がつかない戯れ歌だ。審査基準も時代とともに変わったろうが、師匠の渡久地がさぞ口惜しがったろう。

 レコード大賞の歌唱賞を取った『渡り鳥』がいい。作詞の野村耕三、作曲の桜田誠一はともに故人だが、作品は今聞いても全然古くない。歌の生命のながらえ方の凄さか。たかたかしの詞、弦哲也の曲の『夜の雨』もなかなかだ。タイトルがややそっけないが、おそらく二人の初期の作品。これも今に通じる魅力を持つ。中山大三郎の詞で『たまゆらの宿』は船村徹作品ではないか!

 CDを聞きながら、三沢と似た思いに行き付くのは、彼女と僕が同期生だったせい。三沢がレコ大の新人賞を得た昭和38年に、僕はスポーツニッポン新聞の取材記者としてデビューした。さっそく正月紙面用の取材をしたが、当日はあいにくの雨。仕方なしに社のそばのレストランの座敷を開けさせて写真を撮ったが、雨の午後の薄暗い部屋へ連れ込んだから

 「こんなとこで、何をする気?」

 と、彼女がおびえた一幕があった。彼女は東映の女優から歌手に転じたばかり、僕はアルバイトのボーヤから内勤記者を長くやって、取材部署に異動したばかり。年齢は大分違ったが、双方ドギマギするくらいあのころは初心(うぶ)だった。

 独特の鼻声と節回しが、三沢歌謡曲の魅力だが、小椋佳作曲の『バーボンソーダ』や神山純一作曲のジャズ風味の歌も得難い。当時の彼女としては、大冒険のアルバムに収められていた異色作だったろうか。

 ≪あるかなぁ、入っているかなぁ...≫

 と気になったのは、彼女のCDをいくつかプロデュースした行きがかりがあってのこと。「あった!」と嬉しくなったのは『海人恋唄』という作品で、喜多條忠の詞にフォークの永井龍雲が曲をつけた。彼女の50周年記念作品だから、比較的新しい部類だろう。「海人」と書いて「うみんちゅ」と読ませることで判ろうが、彼女用に南方の詞曲を用意していた。

 『島のブルース』が彼女のキャラを決めて奄美の色が濃いが、実は長野・伊那出身の人だった。結婚と離婚も体験、女性の生き方と歌い手の生き方の双方を身につけていて、このアルバムは彼女の"これまで"の集大成だろう。しかしさて"これから"をあの人は一体どうする気なのか。日本は世界有数の長寿国になって、歌手たちの活躍年齢もグンと伸びている。ジャケットや歌詞集の相変わらずの笑顔を眺めながら「さぁ、もうひと踏ん張りだよ」と僕は、年の違う同期生にエールを送る気分になった。

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