阿久の遺作をハコに託す

2018年6月3日更新


殻を打ち破れ197

 "阿久悠プロジェクト"で働く西澤雅巳君からFAXが届いた。阿久の存命中から旧知の友人だから「何事か!?」と老眼鏡を取り出す。用件は阿久の未発表の詞についての問い合わせ。昨年は彼の没後10年、作詞活動50周年の節目で、遺作のCD化やトリビュートコンサートなど、追悼行事が盛んだった。その作業は今年も精力的に続いているらしい。あれだけの大作家だ。それも当然のことか。

 『いま美酒をてのひらで』が問い合わせの詞だった。「ああ、あれか...」と、僕は即座に思い出す。阿久から貰い受けた詞で、三木たかしが曲をつけ、三木と川口真、四方章人ら作曲家たちのバンドで、僕が歌ったことがある。10何年か前に一度だけのステージ。歌う前に三木が熱心にレッスンをしてくれたが、僕は気もそぞろで

 「ま、こんなもんでいいか、何しろ誰も知らねえ歌なんだからな」

 と乱暴なことを言った覚えがある。

 毎年使っているスポニチの手帳で調べたら、歌ったのは2001326日で、溜池の全日空ホテルだと判った。その夜、そこで開かれたのは「酔々独歩・小西良太郎君を声援する会」で、要は44年間、スポーツニッポン新聞社を勤めあげた僕を励ましてくれる会。それまで数え切れないくらい、歌世界の冠婚葬祭を手伝って来たから、みんなが是非!と声を挙げ、僕は生涯一度だけの条件をつけて「生前葬」としゃれのめした。発起人が船村徹、星野哲郎の両師匠をはじめ、そうそうたる顔ぶれで、参会者1000名余。会費1万円だから1千万円集まった勘定だが、大騒ぎで飲み倒して大赤字を出した。

 ♪いま 美酒をてのひらで あたためながらゆらりゆらり 過ぎた昔 とどまるこの日 そしておぼろな未来も想う...

 阿久がこの日のために書いてくれた詞である。慢性の人間中毒、ネオン中毒の不埒な雑文屋の心情を、ここまできれに書くか!と、僕はありがたさに人知れず涙ぐんだ。あれから17年経っているが忘れようはずもない。それが阿久の未発表詞集に残っていて、歌手の山崎ハコが眼をつけたという。彼女は阿久の遺作でミニアルバムを作る作業に入っているらしい。

 「しかし、待てよ...」

 と、この詞の行きがかりに気づいたのが、阿久の息子深田太郎君で、早速西澤君の向い合わせになったとか。

 ハコでレコーディングしていいか?と西澤君は聞いた。言いも悪いもない、是非!と僕は答えた。ハコは大好きな歌手の一人。『織江の唄』を聞いて胸打たれてからだから、断続的だが長いつきあいがある。昨年の夏、NHKホールのパリ祭でたまたま席が隣り合わせになった。路地裏ナキムシ楽団公演「あの夏のうた」で芝居をやるから見に来いよ...と誘ったら、おっとり刀で来てくれた仲だ。

 曲はハコ自身がつけて歌うという。

 ≪たかし、済まんけど、そういうことだ≫

 と、僕は亡くなった三木に報告した。あいつがつけた曲はそのまんまになってしまうが、あいつはニコッと笑って合点するだろう。僕にとっては気のいい弟分。長いつきあいがあったから、お互いに気心は知れている。

 ≪しかしなぁ 長生きするといい話にでっくわすもんだ...≫

 阿久と三木とハコと、不思議な縁をめぐって一つ、滅法いい詞が甦える。そう言えばあの会の発起人をしてくれた久世光彦も豊田泰光も今は亡いが、集まったお仲間の顔はまざまざと思い出せる。そんな気分で僕は近々、しみじみと山崎ハコの『いま美酒をてのひらで』を聞くことになるだろう。

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