ルービー・ブラザーズに共感する!

2018年11月11日更新


殻を打ち破れ202

 最近はあまり使われないが、歌社会にバンド言葉があった。「サ~ケ」は「酒」「ルービー」は「ビール」「テルホ」は「ホテル」「ナオン」は「女」...と、単純なサカサ表現。テレビで芸人さんが「マイウー!」と叫んだりするのは「うまい!」の意で、たまたま生き延びている例の一つだ。

 ところがこの表現を正面から名乗る二人組が居て「ルービー・ブラザース」の湯原昌幸とすぎもとまさと。時おり気ままな歌づくりをして歌っていたが、最近4年ぶりに3枚目のシングルを出した。田久保真見作詞、杉本眞人作曲の『涙は熱いんだな』と、伊藤薫作詞、湯原昌幸作曲の『夕顔』というカップリング。ご存知だろうが、杉本は作曲者名は漢字表記、歌手名はひらがな表記で僕ら雑文屋は少々厄介な思いをする。

 『涙は熱いんだな』は、やせがまんをして生きて来た中年男が、久しぶりに素直に泣いた実感のおはなし。「男は泣いたりするな」と、昭和育ちの父母に教えられ、それを鵜飲みにして来た結果だ。田久保の詞は涙の理由に触れず「生きているから泣けるんだな」の感慨に行きつく。その分だけ、団塊の世代である二人が、幅広く"ご同輩"の共感を得ることになりそうだ。

 湯原はロカビリー・ブームの中から頭角を現わした歌手。杉本は少し遅れてフォークブームを体験、歌書きとして大成した。そういう意味では、昭和のポップス系育ちで、音楽的志向も含めて、ウマが合うのだろう。もう1曲の『夕顔』は、まるで終活ソング。ご時勢にさからって生きた奴が、宵に咲き朝に散る夕顔の花のいさぎよさに「教えてほしい、人の静かな終え方を」などと、伊藤薫の詞が言っている。

 平成も30年で最後、来年から新しい年号の時代が始まるが、昭和はますます遠くなる。折から2年後の東京オリンピックへ、取り沙汰は妙に騒々しい。そんな中でふと"来し方"を振り返り「判る、判るよ」「そうだよな」と、彼らより少し上の世代の僕も、ついつい"その気"にさせられてしまった。「涙は...」はゆったりめのワルツで、作風も二人の歌唱も、何だか気分よさそう。時流とのはぐれ方を辛がるでもなく、困惑する訳でもなく、率直なところがいい。

 秋口にはメーカー各社から、一斉にデュエットものが出る。もともとは年末年始のカラオケ宴会をあて込んだ企画。当初は男女が親しげに...のムード歌謡が多かった。最近はそれがスター歌手とお笑い芸人など、顔合わせの面白さが前面に出るサービス品になった。ルービー・ブラザースの今作も、そんな流れの中から世に出たのだが、少し異色で少ししんみりの形と中身が、なかなかに乙な味わいで目立っている。

 スポーツニッポン新聞社に在籍していた昔、遊びのグループの"小西会"に会社の仲間の一人を誘ったことがある。グアムかサイパンだったと思うが、ゴルフをやって夜は酒盛り。ところがその男が浮かぬ顔なので、翌朝「なじめないか?」と気づかったら「みんなは何語でしゃべっているんだ?」と不審がった。グループにはレコード会社やプロダクションの仲間も居て、シャレや冗談で使っていたのが、例のサカサ言葉。訳を話したら当人も面白がって話に加わったが、慣れぬ表現だから言葉をいちいち転換する様子が笑いを誘ったりしたものだ。

 社に戻った或る日、その男が僕を「ムウジョ」と呼ぶのに慌てた。「常務」のひっくり返しである。社内ではやるなよと笑ったが、以来ずっと彼は「ムウジョ」を通した。その男の名は八幡貴代一記者。一本気な"いごっそ"でいい奴だったが、あっさり先に逝ってしまった。ルービー・ブラザースは、そんな親友の顔まで思い出させたものだ。

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