再見!ちあきなおみと二人の男

2019年4月14日更新


殻を打ち破れ207

偶然ってあるものだと思った。なかなかに味なものだとも思った。2月にちあきなおみを2度も聞いたのである。もちろんCDとテレビの映像でのことだが、久しぶりに沁みたのは『紅とんぼ』と『紅い花』の2曲――。

 『紅とんぼ』にグッと来たのは、1日の代々木上原けやきホール。ここで僕は「巨匠船村徹の軌跡」の語り手をやった。共演したのは鳥羽一郎、静太郎、天草二郎、走裕介、村木弾の内弟子5人組とギタリストの斎藤功。船村の歌づくりの足どりを、作詞家高野公男との時代、星野哲郎との時代を軸に辿った。

 『別れの一本杉』をはじめ、往年のヒット曲を内弟子たちが歌い、斎藤の妙技は『みだれ髪』で。美空ひばりや北島三郎のヒット曲はCDで聞きながら、船村の"ひとと仕事"のあれこれを、エピソード仕立てでしゃべる段取り。昭和38年の初対面以来、僕の船村密着歴は54年に及ぶ。話のネタも聞き直したい歌も、山ほどあった。

 高野、星野作品にしぼると、ちあきなおみがはずれてしまう。それでは残念...と、3時間余のショーの幕切れ近くに『紅とんぼ』を所望した。平成4年のNHKの歌番組を最後に、ふっつりと姿を消したままの歌手である。会場の人々も心なしか、かたずを飲む気配で聞き入った。昭和63年のシングル、まさにちあき円熟期の作品だ。

 それから4日後の25日、風邪の微熱がおさまらぬまま、テレビをつけたらたまたまBSテレ東のちあきなおみ特集に出っくわした。大流行のインフルエンザではなかった安堵もふっ飛んで、テレビの画面に正対する。"いい歌"ばかりの中で、待ったのはやはり『紅い花』だった。平成3年の新譜、めったに聞けない作品をそれもフルコーラス。彼女41才の収録とテロップに出た。こちらも現役最晩年、歌い手盛り、女盛りの彼女だ。

『紅とんぼ』は、駅裏小路の店が店仕舞するドラマ。常連だったケンさんやしんちゃんに、酒も肴も空にしていって、ツケは帳消し、5年間ほんとにありがとう...と、ママの一人語りが続く。歌うちあきの表情は、客への感謝が暖く、故郷へ去る身の寂しさで揺れる。3コーラス全部、最後の決めのフレーズが

 ♪新宿駅裏"紅とんぼ" 思い出してね...時々は~

 で、ここでちあきの顔はふっと真顔に戻った。はりつめんばかりの思いを表現、ちあきの全身がママそのものになっている。

 ≪演じるというレベルではない。これはもはや憑依の芸そのものだ≫

 1日にCDで聞いた歌を、5日に映像で見直して、僕はそう納得した。

 一転して『紅い花』は、熟年の男の悔恨がテーマ。ざわめきの中でふと、男は昔の自分を振り返る。思いをこめてささげた恋唄も、今では踏みにじられ、むなしく流れた恋唄になった。時はこんなに早く過ぎるのか、あの日あのころは今どこに...男はそんなほろ苦さをひとり、紅い花に託して凝然とする。ちあきのくぐもり加減にハスキーな歌声が、静かなまま激していく。情感は抑え込まれるからこそ生々しくなる。結果歌は、さりげなく熱い――。

 ずいぶん昔に居なくなった、一人の歌手の歌心を、こんなふうに再確認することもある。そして僕は二人の男の顔を思い出した。『紅とんぼ』も『冬隣』も、『喝采』も作詞家吉田旺の作品である。『紅い花』は、テレビの歌謡番組が花盛りだった70年代から90年代に、腕を振るった構成作家松原史明が作詞した。吉田は書斎型の物静かな歌書き、松原はこわもての言動に、あの歌のような維細さを秘めた物書きである。久しく会わない二人の近況が、しきりに気になったものだ。

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