弔辞に拍手が湧くなんてことは、ありえるだろうか?
葬儀における弔辞はふつう、故人の業績や人望を讃える。相手が成功者ならネタが多く、遺徳をしのんで哀調もほどほど。しかし、さほどでもない人を真面目な人がやると、形通りで社交辞令に上滑り。そのくせ長めだから参会者はうんざりする。弔辞が本音で、人物像に迫るケースはごく少ない――。
俳優の堺正章はそれを、
「あなたはいい事も悪いことも、沢山僕らに教えてくれた。そのうち悪いことの方が、とても魅力的だったけど...」
と切り出した。会場はもうクスクス笑いだ。4月3日、東京の青山葬儀所で営まれた内田裕也の「Rock'n Roll葬」でのこと。故人は蛮行、奇行が多かったから、みんな思い当たる節が多い。
「あなたはロックンロールを貫いた」
と、内田の生涯を讃えたあと、歌手として長もちする秘訣を「ヒット曲を出さないことだ」と教えられた件を持ち出し
「あなたは、それも貫きましたね」
と語り継ぐ。事情を知らぬ向きには「皮肉」にも聞えようが、ロック界を主導しながらロックがビジネス化することを嫌い、ヒット戦線を度外視した内田の一念に、会場には同感の輪が広がる。
以前、パーティーの席で、司会した堺がアントニオ猪木に
「裕也さんに気合いを入れてやって下さい」
と頼んだ一幕も出て来た。バシッとやられた内田が
「30年ぶりにやられた。グラッと来たぞ」
と言ったので
「30年前になぐったのは、誰?」
と聞いたら
「樹木希林にきまってんだろ」
と内田が答えた話になると、会場は大爆笑である。
夫人の樹木希林が亡くなって半年後、延命治療も断わった覚悟の死を堺は
「やっぱり希林さんに呼ばれたんです。だからと言ってついでに、僕らを呼ばないで下さい」
と弔辞を結んだ。
会場からは割れんばかりの拍手である。堺の弔辞は時に軽妙に、時に真摯さをうかがわせる話術の妙があった。相手が相手だから面白いネタは山ほどある。その一つ二つを披露しながら彼が語ったのは、内田裕也という先達への共感と、己れの信条を一途に"むき出しの人生"を生きた男への敬意だったろう。内田の享年79、堺は72才、堺にも真情を吐露できる年輪があった。
この葬儀でもう一つ感動的だったのは、娘の内田也哉子さんの謝辞。結婚生活1年半で内田は家を出、40年余の別居生活を送った。也哉子さんが父と過ごした時間は数週間にも満たない。だから彼女は内田裕也という人を
「ほとんど知らないし、理解できない」
「亡くなったことに、涙がにじむことさえ戸惑っている」
率直である。父は自由奔放に生きて、恋愛沙汰も数多い。その時々、父の恋人たちに心から感謝を示した母と父のありようは、
「蜃気楼のようだが」
「二人の遺伝子は次の世代へと流転していく。この自然に包まれたカオスも、なかなか面白いものです」
と、口調も終始淡々としていた。
結びのひとことは
「ファッキン・ユーヤ
ドント・レスト・イン・ピース(クソったれ裕也、安らかになど眠るな!)ジャスト・ロックンロール!」
エッセイストらしい冷静にして親密な表現で、ここまで心のこもった本音の謝辞を、僕は初めて聞き心打たれたが、会場からはここでもまた拍手が起ったものだ。
