苦境をバネに!3人の友人たちへ。

2019年8月3日更新


殻を打ち破れ211

 「頑張ってます!」

 とエドアルドが言う。525日、東京・芝のメルパルクホール。関係者気分で楽屋裏に入って来た彼と、久しぶりに会った。この日、このホールで開かれていたのは「日本アマチュア歌謡祭」の第35回記念大会。エドアルドは18年前の2001年に、ブラジル代表として出場、グランプリを受賞してそのまま日本に居据わり、苦労してプロになった。レコードデビューして何年になるか、異郷人だからか望郷ソングを2曲ほどシングルで出し、最近作は『竜の海』(石原信一作詞、岡千秋作曲、前田俊明編曲)で、とてもいい歌だからあちこちに吹聴の原稿を書いた仲だ。

 「ガンバッテ、マ~ス」

 明るい一言にブラジル訛りを感じる。それはそうだろう。本名がフェレイラ吉川エドアルド年秋だが、生粋のブラジル人で日本は彼にとって異国である。そこで歌い、異国の楽曲で、異国の歌手たちとしのぎを削るのである。半端な頑張り方では勝ち目などない。グランプリを獲った時は、相撲部屋の新弟子みたいに太っていた。それが今では、すっきりと中肉中背、当時の半分くらいの体型になっている。ダイエットなんてなまやさしいやり方ではない。文字通り身を削る努力が、こんなにはっきりと眼に見える例など皆無だろう。

 面倒を見てくれた事務所が、最近事業を縮小、エドアルドはその禄を離れた。当面は所属するレコード会社扱いで活路を模索する。縁が薄いのか、ツキがないのか、彼はまたまたそんな境遇とも戦わなければならない。演歌、歌謡曲を取り巻く状況は、相当に厳しい。それも承知で彼は、もうひと踏ん張りするのだろう。いい奴なのだ。いい歌い手なのだ。しかし、それだけで何とかなるほど、この世界は甘いものではない。

 「うん、頑張れよ!」

 僕はそう言って、かなり年下の友人の手を握った。出来る限りの応援をするつもりだが、今は、そう言うしかないか!

 エドアルドの隣りで

 「統領!あたしは来年40周年です。またいい曲を作って下さい!」

 と、大声になったのは花京院しのぶである。僕は彼女のために、カラオケ上級者向けの"望郷シリーズ"をプロデュースして来た。亡くなった島津マネージャーとの、長いつき合いがあってのこと。今回の舞台でも『望郷新相馬』や『望郷やま唄』を歌う参加者が居た。歌の草の根活動をしている花京院の、ひたむきな努力の成果だ。

 2曲とも、榊薫人の作曲である。集団就職列車で上京、新宿の流しからこの道に入り、苦吟していた彼に昔、曲づくりを頼んだ。大の三橋美智也マニアの彼だから「三橋さん用を想定して100曲も曲先で書いてみろ」と、乱暴きわまる注文だったが、その中から『お父う』も生まれた。

 うまい具合いに民謡調に活路を見出した榊も、最近大病をして元のもくあみ状態。口下手、世渡り下手、宮城育ちの榊に、この際だから再起の発注をした。来年の花京院のための記念曲を

 「もう一度、死ぬ気で書いてみろよ!」

 深夜に電話をしたら、返答はやたらに力み返っていた。

 ≪よし、その意気だ≫

 と僕は思う。苦境をはね返す意欲がバネになれば、それはきっと作品の勢いや艶に生きるだろう。例えは悪いが「火事場のバカ力」を期待するのだ。

 日本アマチュア歌謡祭は、スポーツニッポン新聞社在職中に立ち上げたイベントである。それが35周年なら、その年月分だけ深いつきあいになった人も多いのだ。

月刊ソングブック