君は秋元順子が歌う 『令和元年の猫たち』を聴いたか?

2019年9月28日更新


殻を打ち破れ213

 清澄通りの信号待ちで、歌手秋元順子とハグした。合計150才超の抱擁である。居合わせたキングレコードの面々の、眼が点になったのも無理はない。

 月島のもんじゃ屋「むかい」で酒盛りをした。秋元のメジャーデビュー15周年を記念したアルバム『令和元年の猫たち』の制作打ち上げで、本人を中心に、笑顔を揃えたのは7人ほど。

 「最高!いいものが出来た!」

 と、手放しで自画自賛する会だ。

 もんじゃ屋と言っても、並の店ではない。銀座5丁目にあった小料理屋「いしかわ五右衛門」が、再開発に追い立てられて移転した小店。30年近い常連の僕が

 「うどん粉なんて食えるか、戦後の食糧難時代に、フスマ入りがゴソゴソする代用食として食わされた。その幼時体験がぶり返すじゃないか!」

 と悪態をついたせいもあってか、相当な酒の肴が揃っている。第一、銀座で鳴らした大将の腕がもったいないと、月島も行きつけになったが、もんじゃは滅多に食わない。お女将の心尽くしもあって当夜のメインは"はも鍋"で、猛暑の夜でもみんなが、ふうふう舌鼓を打った。

 ところで『令和元年の猫たち』だが、折からの猫ブームをあて込んだな...と言われればそれはその通り。しかし、聞いて貰えば薄っぺらなものではないと判るはずなのだ。ミソは選曲の面白さ。歴代の名作詞家たちが猫の人生、猫に託した人間の喜怒哀楽を書いた傑作を並べた。それも人知れず埋れていた作品の再発掘が狙い。

 たとえば寺山修司が書いた『ふしあわせという名の猫』がある。親交があった浅川マキのレパートリーだが、彼女は自分の歌を他人がカバーすることを許さなかった。それが仕事先の名古屋で客死、大分日が経ったから、もういいだろうと世に出すことにした。なかにし礼が自作自演した『猫につけた鈴の音』というのもある。子供を欲しがったのに、にべもなく男が断り、失望した女が出て行くのだが、彼女の置き土産の猫のお腹が大きくなる。仕方なしに鈴をつけてやって「おめでとう」と呟く男の心中はいかばかりか。

 昔、なかにし礼が出したアルバム『マッチ箱の火事』に収められていた一曲。面白くてやがて哀しいシャンソン風味は、秋元の新境地開拓にもって来いだ。阿久悠が書いた『シャム猫を抱いて』や『猫のファド』もいいし、中島みゆきの『なつかない猫』や、山崎ハコの『ワルツの猫』も捨て難い。荒木とよひさの『NE-KO』もある。

 おなじみの曲もあった方が...という意見を入れて、ちあき哲也の『ノラ』と、みおた・みずほ訳詞の『黒ネコのタンゴ』を加えた。全曲5人のミュージシャンをバックにしたライブ仕立て。『ノラ』は中村力哉、『黒ネコ』は桑山哲也のアレンジが「ほう、そう来るかい!」と言いたい味つけで、元歌とは趣きをまるで異にする――。

 こうまで力み返って書くのは、はばかりながら僕がこのアルバムをプロデュースしたせい。「風(ふう)」と「パフ」という愛猫二人!?と同棲、猫好きでは人後に落ちぬ僕が、長いことメモして来た"わが心のキャット・ソング"の勢揃いである。歌うのが秋元で、ジャズが中心だが"何でもあり"の、彼女の力量があってこそのアルバムになった。新曲は『たそがれ坂の二日月』で、喜多條忠の詞、杉本眞人の曲、川村栄二の編曲。これがシングルになるはずだ。

 この原稿にはアレが付くだろうな...と、僕がニヤニヤするのはジャケット写真の奇抜さ。ご覧の通り、何とも魅力的な猫のド・アップで、インパクトの強さといったらないじゃありませんか!

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