和尚再会、ありがてぇなあ

2020年9月3日更新


殻を打ち破れ224

 「歌詞の最後の1行でも、じっくり味わって下さい」

 というメモ付きでCDが届いた。大泉逸郎の新曲『ありがてぇなあ』で、送り主は大泉が所属する事務所の社長木村尚武氏。コロナ禍、広範囲の水害惨状に心奪われる7月、さっそく聴いてみると――。

 ♪昇る朝日に 柏手うてば 胸の奥まで こだまする...

 と、歌い出しから明るめで、何ともおおらか。そのうえ2番のおしまいでは

 ♪歳をとるって ありがてぇ...

 なんて言っている。山形あたりで半農半唱、気ままな歌手活動に恵まれている大泉の、老いの心境までにじむ詞は槙桜子。古風だがきっちり隙間がない味わいだ。それに大泉が曲をつけて、こちらは大ヒットした『孫』系のしみじみ泣かせるメロディーを歌う。

 ≪まぁな、確かにお互い、ありがてぇ日々を送っていることになるわな...≫

 僕は「ダイジン」のニックネームで呼ぶ木村氏の笑顔を思い浮かべる。親父さんが山形の名士で、閣僚まで務めた政治家ゆえの愛称だが、昔は日本テレビの有力なプロデューサー、人気TV番組「歌まね合戦 スターに挑戦!!」で、若い才能を発掘「演歌を育てる会」も主導した。スポニチ時代に僕は、彼の番組によく呼ばれたが、ゲストが美空ひばりの場合限定。彼女と親交があり、僕が傍に居ると機嫌がいいのが狙いだったろう。

 僕は平成12年にスポニチを退社したが、まっ先に

 「俺んとこの顧問に来ない? 俺も日テレ辞めた時は苦労したし、今、大泉が当たってるから多少のゆとりがあるし...」

 と誘ってくれたのが木村氏だった。その後、二、三の大手プロダクションからも声が掛かったが、完全にフリーでいたい痩せがまんから、全部ていねいにお断りした。しかし、さほど深いつき合いでもない木村氏からの好意は、第一号だったこともあり、嬉しさが今でも忘れられない。

 彼と僕は昭和11年生まれの同い年で、今年は7巡めの年男である。この年でこんな時代に、元気でまだ歌世界の仕事をしているあたりがご同慶のいたり。「ありがてぇ」も異口同音になりそうだ。僕らは毎年秋に、山形の天童市で大いに飲みカラオケに興じた。同地出身の歌手・佐藤千夜子を顕彰する歌謡祭の審査に呼ばれていてのこと。僕の天童詣では、昨年でこのイベントが終了するまで16年連続を記録した。山形育ちの木村氏は、口は重いが歌は軽めに、この会の前夜祭などをリードしたものだ。

 天童で忘れられないのは、歌謡祭の実行委員長でこの町の有力者矢吹海慶和尚と福田信子以下のスタッフ。「ホトケはほっとけ」だの「女と酒はニゴウまで」だのとジョークを連発、しかし言外に寓意や含蓄を秘める。和尚は、人生の粋人にして達人。その仁徳に魅かれる熟女たちがボランティアで支えたイベントだから、万事やたらに情が濃いめで、酒は出羽桜の枯山水、肴は芋煮と青菜漬け、めしはつや姫に止めをさす夜が続いた。

 それやこれやで、酒どころ、歌どころ、人どころの天童にはまって、最大の催しになったのは昨年1116日夜の「矢吹海慶上人の米寿を祝う会」何しろ市の名士・有力者100人余の着席の祝賀会を、はばかりながら発起人代表を仰せつかった僕が取り仕切った。天童の夜もこれが最後! の感慨も手伝ったのが記憶に新しいが、な、な、何と今年、和尚が代表でNAKの支部を作り、今秋も装いもあらたな歌謡祭をやるからおいで...の連絡。和尚との再会、酒も歌ものチャンスがまた貰えることになった。秋11月が待ち遠しいばかり、コロナそこ退け!である。


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