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新歩道橋1070回

2019年12月 8日更新



『午前3時の御祓い』
 これはもう〝哲の会〟の伝説のイベントになっている。20年以上前の話だが、そんな深夜にむくつけき男たちが神前の板の間に正座して、御祓いを受けた。場所は山口県周防大島の筏神社。地名が出ただけで、もしや...と思われる向きもあろう。そう、作詞家星野哲郎の故郷で、宮司は星野夫人朱実さんの姉星野葉子さん――。
 哲の会は文字通り、星野の薫陶よろしきを得たレコード各社のディレクターやプロダクション関係者の集まりで、記者時代から僕もその一員。それが昔、星野の島へ出かけたのは、彼が主宰したイベント「えん歌蚤の市」を手伝ってのこと。キャリアが長く歌巧者だが、埋もれたままの歌手たちに脚光を! という趣旨に、いいね、いいねの作詞家や作曲家、放送局の人々や僕らが、大挙押しかけたのだ。
 蚤の市はこの島で何度かやったが、問題の御祓いはその中の出来事。哲の会の面々10数人は筏神社の大広間にざこ寝で泊めて貰うのが常。例年、深夜まで酒盛りをやったが、ある晩、僕らが小皿叩いて星野作品を大合唱するのに感じ入った葉子さんが、
 「哲郎さんが皆さんに愛されていることがよく判った。それじゃ御祓いをしましょう!」
 の一言で神前へ。酔っ払った男どもが、粛然と頭を下げた一幕になった。
 「忘れられないなあ、また行きたいよ、あの島の人情、宮司さんの祝詞...」
 そんな懐旧談が飛び出したのは11月19日の夜、仲町会コンペを千葉の鎌ヶ谷カントリー倶楽部でやった後、月島のもんじゃ「むかい」で反省会!? としゃれ込んだ最中だ。
 「葉子さんのあの笑顔に会いたいよ」
 「あの人、もう年が年だから、早めに行こう。年が明けて春先くらいでどうだ?」
 「有志だけでもいいじゃないか。あの神前の板の間の感触が、まだ膝小僧に残っているよ」
 詩人の人徳に合わせて、口々に言い合うのは元テイチクの千賀泰洋、松下章一、元ビクターの朝倉隆、元東芝EMIの角谷哲朗、三井エージェンシーの社長三井健生、キングの古川健仁なんてあたり。仲町会は弦哲也、四方章人ら作曲家に南郷達也、前田俊明、若草恵ら編曲家が主だが、前記の哲の会メンバーがダブっている。
 宮司葉子さんは、寝泊りする壮年のやんちゃ坊主たちのために近所の人達も動員、献身的な接待をしてくれた。早朝から釣りに出る奴、昼を海水浴に興じる奴、昼から酒を飲みはじめる奴など、食事時間がめちゃくちゃなのへ、炊き出しみたいな大忙し。島だから海の幸には事欠かないが、その他のお菜は食い尽くし、台所にあったらっきょうなどは「将校用だ!」と年上の僕らがびんごと抱え込む騒ぎだ。宮司の威厳と作詞家の義姉の優しさを兼ねた葉子さんは、にこやかに僕ら哲の会みんなのおふくろさんになった。
 ―――11月22日、その葉子さんの突然の訃報がファックスで届く。前日の21日午前1時、のどのがんで死去、90才。送信者は星野の長男有近真澄である。22日深夜に帰宅した僕はあわてて電話をするが不通。24日が葬儀とあるのだが、何とも間の悪いことに僕は23日に大阪の阪南市へ入り、翌24日が市立文化センターの「門戸竜二特別公演」に出演というスケジュール...。
 有近は23日早朝、周防大島へ向かったろう。僕はその少し後の便で羽田を発ち関西空港へ向かう。同じ羽田から西へ飛びながら、島へ行きたくてもいけぬいらだちが重い。阪南は大阪だが和歌山に近いあたりと聞く。途中何度か、有近のケイタイにかけるが不通。まだ機中か? もう葬儀の打ち合わせか? こちらは翌日の舞台のけいこである。着信履歴は先方に残るだろうが、当方がケイタイを持っていないから、僕の自宅へ電話しかない。それやこれやの行き違いのあと、やっと連絡がついたのは夜。島ではお清めの席が始まっていた。
 葬儀は滞りなく済んだ。哲の会一同の花は飾った。がんを病んではいたが、年が年だけに進行は遅く、穏やかに暮らしていた。それが突然容態が変わって...と、有近の声が続く。僕は24日が舞台の本番だから、身動きが出来ないと、ただただ不義理を詫びるしかなかった。
 星野哲郎ゆかりの人と言えば、昨年1月に北海道・鹿部の道場登氏が逝った。その一周忌法要は今年11月8日に営まれたが、島倉千代子の七回忌法要と重なって不義理をした。そして、周防大島のおふくろ星野葉子さんの霊前にぬかずくことも叶わない――。
 令和元年は早くも12月である。心残りばかりが胸に滓りになって沈む。今年も多くの知人を見送った。冬の風に吹かれて、心がやたらに寒い年の瀬である。 


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