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新歩道橋1076回

2020年3月20日更新



 「どんなジャンルを歌いたいの?」
 とよく聞かれて、それが悩みのタネだったと言う。テイチクから「私の花」(紙中礼子作詞、花岡優平作曲)でデビューする「ゆあさみちる」という歌手のことだ。
 《へえ、そんな枠決めの仕方をそっち側がするんだ、このごろは...》
 と、僕はニヤニヤする。
 昔々、スポーツニッポン新聞の音楽担当だったころ、僕は歌い手たちによくなじられた。
 「俺たちの音楽を、勝手にジャンル分けして、レッテルを貼らないでくれ!」
 と言うのが彼らの言い分で、決めつけられるのを嫌った。グループサウンズ、フォーク、ロック、ニューミュージック、Jポップ...と、ポップス系のレッテルは大まかに、そんな流れで、それぞれにまた細分化するレッテルが生まれた。
 「短い原稿だからさ、頭に○○○歌手の...とつけなけりゃ、読み手のイメージを絞れない」
 と僕は言い訳をし、
 「だけどレコード店だって、配列のコーナーでジャンル分けしてるぜ。あれも買い手の便宜をはかってるんじゃないの?」
 と、言い返したりした。
 歌にしろ音楽にしろ、作る側はより自由な方がいい。それは当たり前のことだ。それなのにゆあさは、作る側の人々からジャンルを問われた。経歴書によれば、4才からピアノ、小学生でトランペット、中学でイタリア歌曲、日本のポップスも。高校でNHKのど自慢、作詞作曲を始める、高卒で上京、CMソングを歌ったり、GLAYのアルバムにコーラスで参加...とある。その間、夢はいろんな形にふくらんだろう。交友関係もそれなりに広がって、影響も受けたろう。そんな時期やりたいものを本人が絞るのはむずかしい。絞れば逆に自分をせばめる不安も生じたろう。
 あれこれ思い悩んだ末に、彼女が選んだのが作曲家花岡優平だった。秋元順子を「愛のままで」でブレークさせたシンガー・ソングライター。ゆあさは彼に曲を書いて貰おうとする。新潟・新発田から東京に出て、音楽界の裾野を歩いて何年か、彼女は自分の思いのたけを伝え、花岡の音楽に身を委ねようとした。そうすることで彼女は、自分の世界を絞り込むトライを試みる。
 メジャーデビュー曲「私の花」は、ゆあさみちるの柔らかなメッセージソングになった。
 〽咲かせるの、私の花は、信じる力で咲かせるの...
 というフレーズの繰り返しの中で〝信じる力〟は〝魂(こころ)の力〟や〝愛する力〟に入れ替わる。誰のために、何のために咲かせるのかの問いの答えは「きっと自分のために」と出て来る。
 実はこの娘の歌を、僕は昨年、六本木のライブハウスで聴いている。親交のある花岡に誘われてのことだが、その夜僕は彼女の居ずまいと歌が、すっきり率直なことに好感を持った。ライブ慣れした慣れ慣れしさがない。ファンとのやり取りにそれが微妙に表れて、親しげだが媚びがないのだ。花岡作品と彼女のオリジナルらしい作品も、何だか粋にこざっぱりした歌唱に似合った。ライブのあと、近所で一ぱいやって、そんな感想を伝えたのだが、花岡は急いでライブハウスへ戻った。バンドにギャラを支払うためと聞いて、僕はそんな形の師弟関係もあるのかと面白がった。
 ゆあさのデビュー盤カップリング曲は、彼女が作詞作曲した「花の名前」である。この春公開予定の映画「セイキマツブルー」(監督ハシテツヤ)のエンディングテーマに使われているという。吐き出せぬ思い、忘れてはならぬ思いを、心に咲く花として育てて行こうというのが歌詞の大意。若いシンガーソングライターらしい一途さが、詞、曲、歌に表れて、やはり長めだ。
 《そうかい、妙に花にこだわりながら、この娘は自分の歌を自分のジャンルにすると思い定めたのかい...》
 僕はこの新人歌手の、こだわり方をほほえましいものに受け止める。誰だってみんなそうなのだ。音楽や歌だけにとどまらず、文学も絵も書も芸能芸術にかかわる人はみんな、自分だけのジャンル、つまりは独自性、オリジナリティを追求するものだろう。自由に気ままに(ということはそれに見合う苦悩や試行錯誤とともに)物を作る幸せって奴を体験できることを、喜ばねばなるまい。これを書いている3月11日は、9年前に原発事故と東日本大震災が起こった日で、復旧復興はまだ道遠い。新型コロナウイルスの発症が生活や経済に激しく影響、世界中が不安と混乱を充満させて、翌々日にはとうとう「パンデミック」と呼ばれる事態にまで発展している。


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