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吉岡治の顕彰碑が小豆島に建ったぞ

2012年8月 2日更新


殻を打ち破れ126回

 作曲家の岡千秋が、石川さゆりの歌を聞いて泣いた。6月9日夜、場所は瀬戸内海の小豆島である。この日、島の土庄港の船着き場に、作詞家吉岡治の顕彰碑が建立され、除幕式が行われた。その祝賀の宴で、さゆりが歌ったのは『波止場しぐれ』で、詞が吉岡、曲が岡の作品だった。
 この曲がヒットしたのは昭和60年、その後吉岡はここで平成5年から5年間、新人歌手の登竜門イベント「演歌ルネッサンス」を主宰した。いずれも島の青年たちの懇請に応えたもので、小豆島の名を全国にアピールした。顕彰碑にはかつての若者たちが、感謝の思いを後世に伝えたい一心で作った背景がある。
 島の人々の熱意と情の詩人の絆が、長い年月の後に型になった。「情」も「絆」も近ごろは、手垢がつくほど使い古された言葉だが、この島にはそれが、字義どおりのぬくもりで維持されていた。だからさゆりの歌には、切ないくらいの思いがこめられて、それが岡の心を大きくゆすぶった。
 岡は小豆島からも見える鴻島で生まれ育った。幼時期の彼は、農作業に出る母親に背負われ、畑仕事の間はこぶりの木にくくられて遊んだと言う。そのころに見た夕陽の赤と、帰路に母の背から仰いだ夕月の青が、記憶にしみついている。彼はさゆりのレッスンのために、ピアノを弾いた時期も持つ。往時のそれやこれやも、彼の胸を熱くしたのだろう。
 演歌ルネッサンス出身の歌手を代表して、岩本公水は『花筏』を歌った。事情があって2年半歌を休んだあと、復帰第1作に吉岡から貰った作品である。島へ来るのがもう17回めと言う彼女には、第二の故郷で歌う思い出の曲になった。何百回となく歌い慣れた作品でも、その場その時の状況で、歌手たちの思いは深まり、情感に濃淡が生まれるものだ。
 「歌も歌手も、不思議な生き物だよな」
 同席した作詞家もず唱平と僕は、うなずき合う。吉岡と長い親交があり、もちろん演歌ルネッサンスも一緒に手伝った。そろそろ円熟…の75才で逝った吉岡を見送り、その3回忌の初夏である。僕が書いた詩人の仕事とひととなり、島人との交友についての800字は、顕彰碑の左隣りの石に刻まれた。
 除幕式と祝宴には、吉岡家の人々が勢揃いした。久江夫人に長女あすかさん、その娘で吉岡が愛してやまなかった孫のあまなさん、長男の天平氏とその妻真弓さんの5人である。天平氏は映像関係の会社をやっていて、顕彰碑のデザインも彼がした。島のゆったり流れる時間と、せわしない東京の間にはさまって、作業は難渋した。
 顕彰碑のそばには、27年前『波止場しぐれ』の時に吉岡や岡が植えたオリーブの樹が、びっくりするくらい大きく育っていた。それを見上げながら、あまなさんが小さなオリーブの木を記念に植樹した。
 「27年後には、あまなさんもこの木も、あんなふうに大きくなっているんだね」
 上きげんの岡田好平土庄町長に言われて、本人は眼をくるくるさせた。彼女は高校2年生の16才。この日は土曜で、学校は休みだった。

 

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