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昭和の男・佐伯一郎は元気だ

2019年5月19日更新


殻を打ち破れ208

 

  「地方区の巨匠」と呼びならわしている佐伯一郎は、すこぶる元気である。

 「聞いてみてよ」

 と届いたのが、自作の15曲ほどを収めたCD。本人や弟子が歌っているデモだが、いかにも彼らしい"昭和テイスト"横溢の作曲集で、どうやら誰かの歌で世に出したい希望のようだ。というのも――。

 脊髄の手術を繰り返して、車椅子が必要な暮らし。毎年恒例だった浅草公会堂コンサートも、大分前に閉幕した。体調はそんな風だが、演歌歌謡曲への情熱は衰えることがない。自分が無理なら楽曲だけでも一人歩きを!の一念が、各曲に添えられた歌詞の、彼流の筆文字ではねかえっている。僕とほぼ同じ年、そのエネルギーには頭が下がる。

 『飲んだくれの詩』『捨て台詞』『時化』『海峡の果てに』などというタイトルがズラリと並ぶ。いずれも未発表曲というが、昭和30年代後半から、彼が得意として来た世界とメロディーに、僕はニヤニヤする。昭和を見送り、平成も終わるこの時期だからこそ、彼は彼流の決着のひとつをつける気になったのか。

 今でこそ、地方に根を降ろして活動、インディーズの枠組にくくられる歌手は大勢いるが、佐伯はその"はしり"だ。静岡・浜松に蟠居、自作自演で人気を集め、育てた弟子には楽曲と芸名、歌う場を与えている。自前のレーベルまで持ち"東京望見"の意気で東海の雄になっていた。僕はもともと、テレビで顔と名を売るスター志望の"全国区型"だけが歌手ではないと思って来た。地元の歌好きと膝つき合わせて歌うタイプもまた、立派な歌手。だから東北に奥山えいじ、首都圏に新田晃也、名古屋に船橋浩二、高知に仲町浩二、福井に越前二郎などの友人が多い。

 ≪そう言えば佐伯は、一旗揚げに上京した若いころ、作曲家船村徹の弟子だった...≫

 と往時を思い返す。その船村は今年3回忌。僕は21日に代々木上原のけやきホールで「船村徹の軌跡」というトークショーをやった。一緒に出たのは鳥羽一郎、静太郎、天草二郎、走裕介、村木弾の内弟子5人の会と、ギターの名手斎藤功。祥月命日の216日にグランドプリンスホテル高輪で開かれた「3回忌の宴」では、司会をやった。船村と個人的な交友のあった人だけを招いたうちうちの会だったが、"うちうち"で参会者150人である。船村の人脈の広さと深さに、改めて感じ入ったものだ。

 「蒲田で芝居やっててさ、残念だけど行かれなかった」

 と言ったのは、大衆演劇のベテラン沢竜二。母親が座長で、その楽屋で生まれたというこの人は"生涯旅役者"を自称するが、九州から上京した時期に、船村の門を叩いている。声がかかって僕は"沢竜二全国座長大会"のレギュラー役者だが、彼にぴったりの楽曲『銀座のトンビ~あと何年・ワッショイ』ではプロデュースを買って出た。お陰で中高年の紳士たちの支持が熱く、

 「ステージに出ると、紅白!紅白!の声がかかる。もちろん俺も出る覚悟だけど...」

 と、本人も俄然"その気"で歌い歩いている。

 昭和38年夏の初取材以来、知遇を得て僕の船村歴は54年にもなった。物書きの志と操を教わるよりは盗めで学んだいわば"外弟子"である。それが佐伯一郎とも沢竜二とも、出会いは別々だが結果同門の交友が長い。

 昨年、川中美幸公演で一緒になった女優安奈ゆかりは、何と佐伯の娘だった。ふっくら体型で、いい声の個性派。「縁」の妙の不思議な継がり方に、僕はうっとりしている。


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