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君は北川裕二を知っているか!

2019年6月30日更新


殻を打ち破れ210


 歌謡界は、いい人なら何とか生きられるほど甘くはない。人柄よりも才能本位だから、時に厄介なタイプでも、うまく行くことがある。しかし、長もちするのは「いい人」の方だ。人間関係がものを言う世界のだから、嫌われもんが長もちした例は、ほとんど無い。

 そんなことを考えながら、429日、浅草ビューホテルへ出かけた。「北川裕二35周年記念ディナーショー」取材で、北川は作曲家弦哲也の弟子。昭和28年生まれだから、この8月で66才になるはずなのだが、申し訳ないことに歌をちゃんと聞いた記憶がない。たまに師匠の弦のイベントに出ていて、名前を知ってはいた。

 新曲『やめとくれ!!』(かず翼作詞、弦哲也作曲、前田俊明編曲)を皮切りに、北川はガンガン21曲を歌い切った。身長172、体重75、がっしりした体格で、歌声の圧力もなかなか。デビュー曲の『雨の停車場』から発売順に書けば『溺愛』『潮来雨情』『女のみれん』『恋雨みれん』『なみだ百年』『命まるごと』『泣いて大阪』『酔風ごころ』など。みんな弦の作品だが、残念ながらブレークした曲はない。

 だから彼は、弦作品をヒットさせ、恩返しをすることが「ライフワークだ」と胸を張る。なじみのある曲は『東京の灯よいつまでも』『別れの一本杉』『長崎の女』『霧の摩周湖』などで、昭和の匂いが強い。春日八郎や布施明のヒットを歌うことで判ろうが、セミクラシック寄りの発声で高音を決める唱法。歌い手は歌手を志した時代の、歌唱のファッションを長く道連れにするものか。

 「キャバレーで歌ってたかねぇ?」

 隣りの席に居た担当の中田信也ディレクターに聞いてみた。大勢の客相手に、声を励まし、受けを狙うタイプとも思えたためだ。答えはNO、一時流行した弾き語りもやっていない。これをやれば歌唱は、もう少しソフトなタッチになるだろう。

 昭和58年、テレビの「新スター誕生」で、グランド・チャンピオンになったのが振り出し。アイドルを量産した"スタ誕"のあとがま番組だったが、業界から声はかからず、故郷の福島・郡山に戻る。しかし矢も楯もたまらず、番組の審査員だった弦哲也に直訴、断わられたが粘って2人めの弟子になった。本名の増子ひろゆきでデビューしたのが1年後の昭和59年で、2年後に北川裕二に改名している。

 以後21枚のシングルを出し、キャンペーンや実演のステージで頑張って来た。言ってみれば草の根活動、膝づめで歌って少しずつファンをふやしたのだろう。今回のディナーショーは、主催、企画、構成が「Yuji音楽工房」とあって、彼の個人事務所。会場には北海道から九州までのファン300人が集まった。独立独歩、歌手生活35周年の長さを、彼の誠意が獲得した立派な成果だ。

 ゲストは師匠の弦哲也。二人で『北の旅人』を歌い、弦は『天城越え』を弾き語りで歌って花を添えた。

 「人を押しのけてでも前に出るタイプではない。お先にどうぞって、譲ってしまうような男でねぇ」

 控え室で弦は、愛弟子をそう語った。歌を「飽きるな 諦めるな」と励まし、北川が落ち込んだ時には「外に出ろ、所をえらばず歌え」と叱咤したそうな。

 冒頭に書いた例で言えば、北川裕二はきっと「いい人」なのだろう。それでなければ35年もの間、支えてくれる人々の"和"に出会えたはずがない。長い苦難の道を頑張ることも、師匠譲りだろうか。昭和、平成を歌い、令和に挑戦するファイトを聞いた。終演後僕も彼と激励の握手をしたが、達成感ありありの笑顔で、握り返した手は強く熱かった。


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