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「老い」を歌にして悪いか?

2019年9月 5日更新


殻を打ち破れ212

 ケイタイに電話をしたらその夜、新田晃也は故郷の福島に居た。コンサートが終わったばかりだと言う。

 「新曲、受けたか?」

 と聞くと、待ってましたとばかりに、

 「受けた、受けた。タイトルを言っただけで、もう爆笑!拍手が来ましたよ」

 受け答えする彼の背後には、人々の談笑がにぎやかだ。久しぶりに会った友人たちか、それとも打ち上げのスタッフか。場所は居酒屋と、おおよその見当はつく。

 ≪そりゃ受けるだろうな、客のみんなに思い当たるふしがあるんだから...≫

 こちらもニヤニヤする。新曲のタイトルが何と『もの忘れ』なのだ。

 ♪近頃めっきり もの忘れ どうしてこの場所 俺はいる...

 石原信一の詞の歌い出しである。薬は飲んだのかどうか?昨日の約束もすっかり忘れている...などと歌が続く。二番では惚れた女を待った雨の街角が出てくる。昨日今日のことはおぼつかないが、昔のことはやけにはっきりと覚えている老境がほほえましい。三番には、話の合わない息子や、わけのわからない娘のおしゃれまで。

 僕もそんな年かっこうである。隣りの部屋へ行って、さて何しに来たのかなんてことはしばしば。友人との会話は、

 「あいつだよ、ほら...」

 と話しかけながら、あいつの顔は出て来ても名前が思い出せない。よくしたもので相手は、

 「あぁ、あいつか。うん、まだ元気だろ?」

 と応じて、話が通じてしまう。年寄りならではのツーカーで、友だちはなかなかいいものだ。

 友人の新田のために、石原は時おり思い切った詞を書く。コンビの第一作は『寒がり』だったし『昭和生まれの俺らしく』なんてのもあった。2015年の新田の歌手活動50周年記念曲は『母のサクラ』で、年を重ねてしみじみ思い返す母親について二人は、大いに意気投合した。ともに70代、そんな年ならではの本音を歌にする。石原の詞にその都度じ~んと来て、新田が曲をつけて歌う作業。歌づくりを楽しんでもいようか。

 流行歌はもともと、絵空事のお話である。恋愛ざたのあれこれが、永遠のテーマ。作家も歌手もいわば青春時代の感傷を、それぞれの味つけで独自の世界を作ろうと腐心する。絵空事に、血を通わせ肉とする試行錯誤をくり返すのだ。演歌、歌謡曲の歌手たちも、ご他聞にもれぬ高齢化社会の中にいる。孫に恵まれた年になっても、孫の話はせず、孫の歌は歌わない。ファンの夢をこわすまいとするのが一般的だ。

 石原はヒットメーカーの一人である。市川由紀乃をはじめ、若手から中堅の歌手たちには、似合いの恋物語を書く。実績が認められて日本作詩家協会の幹部にもなっている。

 「でもさ...」

 と、時おり踏み止まったりするのだろう。熟年の歌手には年相応の歌があってもいいのではないか?ファンの年齢層が高いジャンルだけに、そんな歌に呼応する向きも居るはずだ。問題は"老けネタ"を承知の歌手が居るかどうかだったが、新田との出会いがそれを可能にした。

 新田は銀座の名うての弾き語り出身。自作自演の演歌系シンガーソングライターとしてマイペースを貫いて来た。一発ブレーク、天下を取る夢を捨ててはいまいが、むしろ「自分らしい世界」を作ることに熱心な男だ。

 新田が伊達、石原が会津と、同郷のよしみも深い二人の歌づくりは愉快な冒険である。二人それぞれとのつき合いが長く、引き合わせた僕としては、笑いながら極力応援せざるを得ない。


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