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坂本冬美をべた褒めする!

2019年10月27日更新


殻を打ち破れ214


 ≪いいじゃないか、こういう歌でお前さんは、還って来たんだな...≫

 古くからの坂本冬美ファンと一緒に、僕はそう思った。しあわせ演歌冬美バージョンの『俺でいいのか』と、小気味のいい路地裏艶歌『男哭酒』のカップリング。久しぶりにモトの冬美に再び出会った気分だ。

 吉田旺の詞がいいし、徳久広司の曲もいい。前田俊明のアレンジも手慣れてなかなか...と書いて、三拍子揃っていることに気づく。

 しあわせ演歌と言っても、ひとひねり利いている。

 ♪二人ぽっちの門出の酒が 染めたうなじの細さに泣ける...

 と、相手を見返す男も、あんたのためなら死ねると見詰める女も

 ♪星も見えない旅路の夜更け...

に居るのだ。『俺でいいのか』と問いかける男に、女の咲顔(笑顔を吉田はこう書くのだ!)がまぶし過ぎたりする――。

 徳久の曲はW型である。歌い出しとサビと歌い収めに高音のヤマ場がある。ふつうおだやかめにスタートするM型の曲は、高音で張る部分がサビ一ヶ所になりがちだが、それに比べればインパクトの強さは倍以上。そのくせ破たんがなく、無駄もないメロディーで、芯が明るい。タイトルと同じ文句のサビが、以前徳久が書いた『おまえに惚れた』(美空ひばり)の♪惚れた 惚れたよ...を連想させるのもほほえましい。

 ≪冬美は"いい年増"になったもんだ≫

 とも思う。もともとこの人は、「何を歌っても冬美」の得難い声の持ち主。それが作品によって趣きを変えるから、阿久悠が「色つきのたまねぎ」と評したことがある。むいてもむいても冬美...の意だろう。その独特の声味に、年相応、キャリアなりの生活感が加わった。声の切り替えや高音の張りに、かすれ気味の感触が生まれているのだ。もしかすると本人は、そこを気にするかも知れないが、歌のこまたが切れ上がったまま、情趣が濃いめじゃないか!

 古い演歌好きの僕には、カップリングの『男哭酒』が捨て難い。自分を置き去りに逝った女をしのんで情緒てんめんの男唄。

 ♪あいつ居た春 居ない冬 心キリキリ風酒場...

 と来て、男は「泣く」のではなく「哭く」のだ。だからタイトルは『男哭酒』と書いて「おなきざけ」と読ませる。

 はばかりながら僕は昔々、彼女のために『夜桜お七』をプロデュースして、冬美の転機を作った。その後彼女は『また君に恋してる』を歌い、二つめの蜉化に成功している。歌世界の幅を広げた冬美は、ドレスでポップスを歌う今日性まで手にした。それもこれも「何を歌っても冬美」の強みで、ひところ僕は、彼女をニューヨークで歌わせてみたい夢を見たものだ。

 そのくせ僕は、彼女が演歌に立ち戻る日を心待ちにもしていた。いくつかそれらしい挑戦を試みてはいたが、時期もよし、作品もよしの今作でこそ、わが意を得たりと合点する。

 ≪やったね、山口栄光!≫

 と、友人の担当プロデューサーに拍手を送りたい。病気勝ちなのか、ほとんど人前に出なくなって久しい作詞家吉田旺にも拍手だ。1曲づつのこだわり方、ねばり強さ、独特の表現力は、変わることなく健在である。徳久広司の歌書きとしての千変万化は、油が乗り切って頼もしい。そして冬美がタイトルもじりで書けば

 「わたしでいいの!」

 と、昨今の演歌界に還って来た心意気にも共鳴する。

「やりやがったな、この野郎!」

 亡くなった彼女の師匠・猪俣公章の声まで聞こえて来る心地がしている。


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