新歩道橋1095回

2021年1月25日更新



 ここのところ二、三年、気になっている歌がある。昔、淡谷のり子が歌った「別れのブルース」だが、聞いてよし、歌ってよしで、全く古さを感じさせない。作詞は藤浦洸、作曲は服部良一、調べたらレコード発売が昭和12年4月で、何と僕よりわずか一つ年下、84年前の作品なのだ!
 まず、歌詞がすうっと胸に入って来る。「窓をあければ(中略)メリケン波止場の灯が見える」という2行で、情景のその1。次の2行で「恋風乗せて、今日の出船は何処へ行く」と情景のその2が動く。二つの景色を眺めているだろう主人公は気配だけで、説明は一切ない。
 しかし、手渡された二つの情景は、歌謡曲特有の孤独感や寂寥感で色づいて、聞く僕や歌う僕をたっぷりめの哀愁へ誘う伏線になる。その上で、
 〽むせぶ心よ、はかない恋よ、踊るブルースのせつなさよ…
 の2行でビシリと決めるのだ。突然主人公の感慨が示されるのだが、唐突感はない。あらかじめ与えられた二つの情景で揺れた気持ちが、クライマックスに導かれただけだ。
 歌詞もそうだが、メロディーもそんな感興を盛り上げていく。歌詞の最初の2行分はドラマの舞台を見せて客観的。次の2行が去る船影にドラマを予感させ、結びの2行分が歌を決定的にする。2行分1ブロックずつのメロディーが、高揚を積み上げて、最高潮の最後へ三段重ね。尻上がりに情感を色濃くし、フィニッシュあたりの音域は相当に広い。歌って得られるのは一種の陶酔感や達成感だろうか。
 藤浦洸は当時、コロムビアの外国人重役の秘書を務めていたと聞く。歌謡曲お決まりの筋立てやフレーズが前面に出ていないのはそんな経歴の人の新感覚か。作曲の服部良一は関西のミュージシャン出身。戦時中は外国人ペンネームで曲を書いて軍部の検閲をかわし、戦後は笠置シヅ子のブギウギ・シリーズの大ヒットで〝和魂洋才〟の境地を開花させた。つまるところこのコンビの「別れのブルース」は、日本のポップスの草分けの1曲で、だからこそ84年後もさりげなく、僕らの胸を打つ今日性を持っているのではないか?
 僕の令和3年の初仕事は、秋元順子の歌づくりの打ち合わせだった。そこで僕は「別れのブルース」を彼女の歌声で再び世に問う提案をした。昔は「リバイバル」昨今は「カバー」という作業だが「いい作品はいつの時代もいい」事実をまず立証したい。次にこの作業が「過去」を復元するのではなく、「現在」の歌手の表現と魅力で「将来」の宝として再生させることだと考えている。当然のことだが「たそがれ坂の二日月」「帰れない夜のバラード」に続くシングルの3作めも用意せねばなるまい。コロナ禍が拡大、2回目の「緊急事態宣言」が出たばかりだが、不要不急の外出とやらの隙間を縫って、やるべきことは全部やるつもり。ケイタイさえ持たぬ身に「テレワーク」などどこの世界の話だ!
 昨年暮れの友人たちの年度総括は、みんな暗かった。自粛々々で歌手たちは仕事場を失い、彼や彼女たちの作品も歌声も、塩漬けになったまま。歌書きたちは鳴りをひそめ、制作者たちは人との接触を断たれて、創意や工夫があっても出口がない。政治の打つ手は後手後手で医療はもはや限界。年が明けても感染の拡大は勢いを増すばかりで、生きていくことさえ不安、先行きは全く不透明と来るから、多いのは嘆きの声ばかりだ。
 「ヘボ役者、開店休業、保障ナシ…」
 なんて戯れ言でそれをかわしながら、僕は古くから伝えられる「温故知新」や「ピンチはチャンス」という奴を生かそうと考える。不安は言い募れば増大するばかりだから言わない。お先まっ暗ならその中に、我流の光明、可能性の芽を探す方が面白いじゃないか。自分の胸に問い質しながら内向きに陥らず、獲物のあれこれを発信する。氷川きよしのここのところの動向や坂本冬美の「ブッダのように私は死んだ」は、こういう時代に「進化」を示す陽動作戦にも見える。小椋佳と林部智史が、小椋作品をお互いに歌うアルバム「もういいかい」「まあだだよ」は、44才差の二人の音楽を「深化」させているかも知れない。
 ま、話題は明るい方がいいが、別にセンセーショナルである必要は全くない。創るにしろ歌うにしろ、これまでのそれぞれの境地を少しずつでも「進化」させ、「深化」を目指す。その結果は明らかに「コロナ以後」を示すはずで、発表する機会はいずれ、ちゃんと来るのだ。