新歩道橋1096回

2021年2月11日更新


  
 吉幾三の詞や曲にある独特の〝語り口〟と、走裕介の〝歌いたがり癖〟がどう合流できているか? そんなことをポイントに走の新曲「一期一会」を聞いた。結果としては案じることもなかった。その理由の1は、吉の詞が人との出会いはみんな意味がある。一期一会と思えばこそ…と、3コーラス&ハーフを一途に語り続けていること。その2は、メロディーが3連の快い起伏で、一気に歌い切れるタイプだったことだ。
 それを走は、いい気分そうに歌い放っている。もともと声に応分の自信を持っている男が、すっかり解放された気配。しかし、少年時代からあこがれた吉の作品だけに、それなりの敬意を払ってもいようから、歌が野放図になる手前で収まっている。ワワワワーッで始まった男声コーラスが、終始伴走していて、
 《クールファイブの令和版っぽいな》
 と、僕はニヤニヤする。
 作品ににじむ魅力は、若者の覇気だろうと答えを出して、さて、他の3人はどうしているか? が、気になった。走は鳥羽一郎を頭にする作曲家船村徹門下の〝内弟子五人の会〟の1人。先輩の静太郎、天草二郎と後輩の村木弾の間にはさまった四男だ。鳥羽は3年で卒業したが、残る4人の内弟子生活はみな10年前後。師の背中から生き方考え方も学んだ男たちだから、吉も走について、
 「基本的な部分がちゃんと出来ている」
 とコメントしたそうな。
 はばかりながら僕は、彼らの兄弟子として、大きな顔をしている。昭和38年に28才の駆け出し記者として船村に初めて会い、知遇を得た54年のキャリアを、彼らも認めている。そう言えば10年以上前、吉、鳥羽と3人で北海道・鹿部で飲んだことがある。その時僕が鳥羽を呼び捨てで、あれこれこき使うことに、吉が「どうなってんだ!」と気色ばんだ。
 「俺と彼じゃ船村歴が違うのよ、だから兄弟子。鳥羽も弟分でつき合う洒落っ気があるのよ」
 と釈明したら、
 「そんなのありかよ」
 と、吉が納得した笑い話があった。その鳥羽と五人の会の面々は、亡くなった師・船村が遺した作品を歌い継ぐことを使命としている。日光にある船村徹記念館に隣接するホールで、毎年開く「歌い継ぐ会」も見に行っていたが、コロナ禍でこのところ中止が続いている。
 「どうしてるよ、みんな…」
 と声をかけて、酒盛りでもしたい気分だが、ご時世柄それもご法度。ウジウジしかけたら「いい加減にして下さい。一番危険なお年寄りなんですから」と、家人にたしなめられる始末だ。
 《そう言や、彼ともずいぶん長いことごぶさたで、飲んでねえな…》
 と思い出した作詞家里村龍一が、何と吉幾三のための詞を書いていた。新曲「港町挽歌」で、独航船で漁に出る男を、
 〽行けば三月も尻切れトンボ、港のおんなは切ないね…
 と見送る女が主人公。これが相当なツワモノで、船出の前は酒も五合じゃ眠れんし、一升飲んでもまだダメだ…なんてボヤいている。
 各コーラス歌のなかに「どんぶら、どんぶら、どんぶらこ」なんてフレーズがはさまっていて、これが吉の歌の〝語り口〟に似合うあたりが、里村の算術か?
 港の男と女、望郷の切なさ辛さ、それにからむ深酒、親への詫びなどを、男の孤独の小道具に使う詞は、里村のお得意。釧路育ちのやんちゃが漁師になり、カモメを食って先輩にボコボコにされたエピソードを持つ男は、お国なまり丸出しで、奇行蛮行が多い日々を送った。溺れるほどの酒飲みだが、近ごろは、肝臓をやられているらしい、ずいぶんやせたが大丈夫かね…などの、噂の主になっている。詞も曲も自作が常の吉が、唯一の例外として里村の詞を歌う。それも20年ぶりと聞くと、何だか胸がつまる心地がする。
 また北海道・鹿部が出てくるが、里村や岡千秋とよく飲みよく遊んだのがここ。作詞家星野哲郎の毎夏の旅のお供をしてのことだった。宵っぱりの酒、定置網漁へ未明の出船、番屋の朝めし、漁師たちとのゴルフ・コンペ…。寝る暇もないくらい野趣に富んだ2泊3日だったが、呼んでくれた道場水産の社長で〝たらこの親父〟の道場登さんは、お先に逝った星野とあちらで盛り上がっていそうで、その3回忌が済んだところだ。戒名が凄くて「登鮮院殿尚覚真伝志禅大居士」何と尚子夫人、長男真一、次男登志男の名の一字ずつが入っている。家族仲よく令和3年を迎えたことだろう。