新歩道橋1097回

2021年2月20日更新



 「料理なんて、ちゃんとやるの?」
 「うん、いろいろ考えながらね。おたくは?」
 「あたし、やらない。だんながする(笑)」
 熟女二人のやりとりである。ご近所づきあいの主婦の立ち話みたいな風情。そのうち子供は作らないのか、そこまでは望まない、もう年が年だしねえ…と、突っ込んだ話も妙にさりげない。
 会話の主は、実は歌手のチェウニと島津悦子。場所が東京・神泉のUSENのスタジオで、僕ら3人は「昭和チャンネル、小西良太郎の歌謡曲だよ人生は」を録音していた。コロナ禍対策が徹底しているから換気のために話がしばしば中断する。だからそんな所帯じみた話は、マイクがオフになっている時に限られる。人気稼業の二人だもの、本番中はそんな〝素〟の部分は避けて通るに決まっている。
 番組は月に一度の収録で毎週月曜日に放送中だ。僕が話し相手でチェウニがアシスタント。ゲストで呼んだ人の歌20数曲を聞きながらの四方山話だから5時間近い長尺ものである。長いこと作詞、作曲家やプロデューサーなどがゲストだったが、ほぼひと回りしたので近ごろは歌い手も来る。人選は元NHKの大物でこの番組のプロデューサー益弘泰男氏にお任せ。いずれにしろ気のおけない相手がほとんどだから、雑談めいたやりとりが、いつも賑やか、時に核心を突く。
 近作「俺と生きような」がヒット中の島津は九州の出身。静岡でバスガイドをやった後に東京へ出て、歌手になったキャリア30年超のベテラン。ほだされたと言う相手と結婚して金沢に住み、仕事現場へは長距離出勤を続けている。気性も言動も、こざっぱりした〝男前〟で、飾らずべたつかずの人づき合いのほどの良さが好かれて、作家たちと親交がある。作品が一番多いのは弦哲也で岡千秋、徳久広司がそれに次ぐから、さしずめ3冠。石本美由起、松井田利夫、伊藤雪彦、市川昭介、吉岡治らとも縁があった。うるさ形も多いが、
 「何だか、お酒のもうか、ハイ…なんて感じで、皆さん優しかったわよ、アッハッハ…」
 と屈託がない。
 不要不急の外出は自粛中を強いられる昨今だが、この番組だけはちゃんと神泉へ出かける。そのかわりスタジオでは、美女二人と僕が透明の間じきりで隔てられ、三人ともマスク着用のまま、相棒のチェウニはその上に老眼鏡をかけ、透明のお面までかぶっているから、
 「どこのおばさんヨ」と僕に冷やかされる。
 この人がまた、すたすたと率直な物言い。時に僕が使う熟語に、
 「待って! それ、どう意味ヨ?」
 と割って入るとにわかに日本語教室になる。来日して20年を越え、お祝い騒ぎなしの結婚をし、少し前に日本に帰化していて、
 「あたし、ここに、骨をうずめるからネ…」
 と言う時は、眼も笑わない。16才の時に一度日本へ来た。僕はレコードで彼女のあちら楽曲「どうしたらいいの」を聞いて惚れ込み、会おうと探したら帰国してあとの祭りだった。それが再来日しての「トーキョートワイライト」でやっと会えて、以後ずっと親しいつき合いだ。
 「この人、あたしが初恋のひとだったのヨ」
 と、僕を誰かに紹介する都度、彼女は自慢げな表情を作る。
 そんな気の合い方で、あれこれ突っ込むから、ゲストに来た向きは大変だ。作詞家の池田充男は若い日に、小樽から駆け落ち同然に呼び出した夫人とのそもそもを、根堀り葉堀りしたら、
 「そこまで言わせるか!」
 と慨嘆して、結局全部しゃべった。
 亡くなった作詞家仁井谷俊也は、出演分を2枚のCDに落として、車でいつも聞いていた。内容が彼の一代記になったせいか、
 「あれはいい番組です」
 と、顔を合わせるたびに言いつのった。
 人前に全く出ず〝作詞家は陰の存在〟を通したちあき哲也が「来る」と言うので緊張したのは、がんとの闘病がもう深刻な時期だったせい。珍しく熱い口調で仕事と生き方を語り尽くしたのは、僕との親交へ、覚悟の上のお返しだったのか。
 神泉へ、恵比寿駅からタクシーを使うことがある。逗子から湘南新宿ラインで出ての乗り継ぎ。旧山手通り途中の青葉台に、ひところ通いつめた美空ひばり邸がある。それをひばり家の嫁有香に話したら、
 「収録が済んだ帰りに、是非一報を!」
 ということになった。今は記念館と事務所になっているそこから、近所の〝いいお店〟へ案内してくれるそうな。久しぶりに〝二人呑み〟をやるかな―。