新歩道橋1102回

2021年5月9日更新



「こちらはもう、しょうけつを極めておりますわ、はははは…」
 電話でいきなり、作詞家のもず唱平がむずかしい熟語を使う。長いつきあいで、そういう癖のある相手と判っているが、さて「しょうけつ」ねえ。大阪のコロナ禍激化を指して「悪いものがはびこる」の意だろうが、文字が思い浮かばない。突然出て来たとして、読めはしても書けはしないな、これは…。
 「こっちももうすぐ、そっちに追いつくよ、困ったもんだ」
 と、大阪―東京(居住地で言えば神奈川か)のやり取りをしたあと、急いで辞典をひく。歌手の上杉香織里が「風群(かぜ)」でデビューした時の記念品。奥行に1993年10月の改訂版で第8刷発行とある。21年もお世話になっているということか!
 ところで「しょうけつ」だが「猖獗」と書く。凄い字面だこれは…と閉口しながら、近ごろは政治家も書けそうもない熟語をよく使うことを思い出す。例えば医療事情が「ひっぱく」しているケースだが、字にすれば「逼迫」である。必要となれば「ちゅうちょ」なく…と彼らはよく言うが「躊躇」なく発言はするが、一向に実行が伴わず、それやこれやで今や3回めの緊急事態宣言である。
 4月26日、渋谷・神泉のUSEN本社へ出かけた。都知事は「東京へ来るな」と言うが、神奈川・葉山からその禁を犯す。「不要不急のことで動くな」と、神奈川の知事も言うが、こちらはUSEN昭和チャンネル「小西良太郎の歌謡曲だよ人生は」の録音で、7月放送分を早めに仕上げねばならない。今回のゲストは歌手の原田悠里だが、彼女のヒット曲27曲をはさんで4時間超のおしゃべり。レギュラーの相方チェウニともども、原田の歌手生活40年を総括、その生き方考え方に迫る。7月の毎週月曜日に1日6回放送する大作である。「不要」などと言っては欲しくない!
 感染対策はきちんとやる。僕と原田はマスクしたまま、透明のボードをはさんで向き合う。原田の隣にいるチェウニは、透明のお面をかぶり、マスクをかけ老眼鏡までだから、一体どこのおばさん? 3人の話が盛り上がるのに水を差しかねないのは、何回かの中断と換気。力の入った仕事のあとは、お疲れさん! の一杯をやるのが習慣の僕も、スタジオを出ると、
 「じゃあね!」
 の一言で逗子行きの湘南新宿ラインに乗る。
 ご他聞にもれず原田も、仕事は全部延期や中止で自粛生活の日々。そこで彼女が編み出したのが「一人合宿」だという。読書などの勉強は教師と生徒、体育の時間も生徒で、食事のためには料理人など、一人で何役かをこなすことにし、それぞれの行動を時間表に書き込み管理する。一日の時間をずるずる怠惰にしないためのアイデアか。
 「初めて聞くけど、それいいかも!」
 と、チェウニが共鳴した。
 原田の血液型はAである。ものごとにこだわるし、徹底して学習したがる。著書に「ひばりとカラス」があって、美空ひばりの魅力とマリア・カラスの凄みを並べ合わせて追及した。二人の生い立ちや行動を時系列でチェックして、タイムスケジュール表まで作ったそうな。一人合宿もそうだが、規範、規律を大事にし、それを自分にもあてはめる。天草の生まれで育ちだから、土地言葉でいう「ぴら~っと」する時間も作りはするが、これは緊張と開放の間の小休止らしい。
 子供のころからの歌手志願、鹿児島大学教育学部で音楽を学び、一時横浜の小学校で教師をしたのは、父親の希望に添ってみせながらの親離れで初志貫徹。北島三郎に直訴の型で弟子入りしたことはよく知られているが、それまでの5年ほどはスナックで弾き語りをやったり、業界人にだまされて金を要求されたり…の苦い経験もそこそこした。大学で学んだのはソプラノのオペラ。それが歌謡曲・演歌に転じるには「地声が使えない。小節が回らない。間(ま)が取れない」の3重苦も体験した。
 この日録音中に原田が泣きだした。チェウニがティッシュペーパーを渡したのは、彼女が二葉百合子に師事、継承の役目も託された浪曲「特攻の母~ホタル」に触れた時。散華した若者たちの青春の思いが、CD化の仕事の域を超えていつまでも原田の脳裡や体内に深く根づいているらしいのだ。
 「コロナからも学ぶことは沢山あるよね」
 変異ウイルスの猛威が関西圏、関東圏に拡大しているところへ、もっと強力なインド種まで出現した。素顔がキッとなった原田悠里の対応は、さて、これからどう展開していくのか?僕もオチオチしていられなくなった。