餌に鴎が食いついた。そのまま敵は海中へもぐり、漁師が竿を振っても離れない。仕方がないからつかまえて、船のストーブで焼いて食った。それはいかん、鴎は漁師の守り神である。若い漁師鈴木政市は同罪の仲間と2人、水夫長にボコボコにされた。作詞家里村龍一の昔話である。酔って興に乗ると話を面白くする癖があるが、この話は彼のいかついキャラとダミ声の釧路弁にやたら似合うから、僕は鵜呑みにした。
作曲家船村徹に勘当された話は一部によく知られている。師の作品「宗谷岬」の歌詞につけた難癖だが、「流氷とけて春風吹いて」に「流氷はとけるのではなく、流れて来て流れ去るのだ」といい「はるか沖ゆく外国船の煙もうれし宗谷の岬」には「はるかな船が外国船となぜ判る? 今どき、煙を吐いて走る船など居るか!」とやった。
「小賢しい! 出て行け!」
船村の一喝で里村は大作曲家の内弟子の座を失う。深夜のこと、辻堂の船村家を出ても東海道線はもうないうえに雨。やむを得ず里村は駅前の電話ボックスで、立てかかった形で眠ったそうな。
「他にもいろいろあったろ? それが積み重なって、お師匠さんが爆発したんだろ?」
と僕がやはり内弟子だった鳥羽一郎を問い詰めても彼は、
「そんなことはありません」
と断言してはばからない。もっとも彼には里村に借りがある。船村宅には弟子入り志願があとを絶たず、その電話を断る係りが里村だった。ところがなぜか、鳥羽の問い合わせにだけは、船村の居場所を教えている。その足で九段のホテル地下の寿司屋へかけつけた鳥羽は、船村との縁を結ぶ幸運に恵まれている。
作詞家里村龍一は無頼の詩人だった。歌謡界では「毀誉褒貶」のうち「毀」と「貶」ばかりが山盛りで、無骨と無遠慮、深酒で時に切れた。奇行、蛮行の噂が先行し、それが世論となる業界だから、つき合いの当初、僕は3人の有名作曲家とのトラブルの理由を問いただした。1人分ずつ聞いて行き、3人めの名を挙げたら、
「頭領(これ小生の仇名)何でそこまで知ってんだ? そりゃあ俺の3大悪事だァ」
と来たものだ。3件それぞれに彼なりの言い分はあるにはあったが、
「世の中通らねぇよな。盗っ人の三分の理だ」
と、僕は総括した。何人かの友人から、
「何であいつとなんかつき合うんだよ」
と忠告や苦情を言われていたから、僕も気合いが入っていた。
「望郷酒場」(千昌夫)「望郷じょんから」(細川たかし)「流恋草」(香西かおり)など、いい歌を沢山残して里村は逝った。「望郷」と「酒」と「詫び心」の3点が多くの作品に共通して、作家本人と作品の主人公は、いつも志得ぬまま酒場の隅で酔いどれており、戸外の夜汽車や船で動くのは彼の想念ばかり。故郷はいつも帰れない場所で、親身内には詫び切れぬ深い事情を背負っている。
北海道・釧路の出身である。この街は昔から炭坑の荒らくれと遠洋漁業の命知らずが火花を散らしていたそうな。一度、彼の凱旋イベントに同行したが、実際出迎え衆の中には剣呑な気配をにじませた男たちもいた。深夜、天井がガラス張りのホテルのラウンジで一緒に飲んだ。
「霧だ! 頭領、これが釧路の霧だ!」
天辺にまっ白な霧が一気に押し寄せた時、立ち上がり両手を広げて叫んだ里村の眼の光が忘れ難い。それが顔に似ぬ、
〽風にちぎれてヨー、のれんの裾を、汽車がひと泣き、北へ行く(望郷酒場)
なんてフレーズを書く。
タイトルもうろ覚えだが、
〽酒で心が旅する夜は、いつもはじめにお前を思う…
なんて泣かせ方もする。
〽いつになったらひとこと言える。かけた不幸の詫び言葉(望郷新相馬)
「不良の純真」を終生抱いたまま、里村の汽車の終着駅はどこだったのか? 酔うた心に思い出したのは誰の顔なのか? 詫びなければいけなかった相手は一体誰で、それはなぜだったのか?
里村と作曲家岡千秋と僕は、作詞家星野哲郎のお供で20年以上毎夏、北海道の鹿部へ通った。里村の訛りのきつさは、この漁師町のそれとほぼ同じで、彼は伸び伸びといつも、ここでもしたたかに酔った。親友の岡は里村の臨終に間に合ったと言う。二人めの師となった星野と、星野の盟友で鹿部の有力者道場登氏は彼岸で、揃って無頼の詩人里村龍一を出迎えるだろう。10月14日の今日、僕は築地本願寺へ彼の通夜に出かける。