新歩道橋1116回

2021年12月4日更新



 曲名かな? と思ったら、店名だった。「晴れたら空に豆まいて」と来た。ライブハウスだろうと思ったら表記はレストランとある。代官山の大通りに面した一角、地下へ続く階段に行列が出来ていたのは午後6時前。「有近真澄グラムロックを歌う~いまどきのファントム」というライブが、その日11月17日の僕のおめあてだ。
 様子が判らないので店へ入って聞くと、すでに全席売切れという。関係者に余分な気遣いをさせたくないと、アポなしで飛び込んだ配慮が裏目に出た。
 「えっ? ソールドアウト? そんなあんた…」
 戸惑った声が大き過ぎたか、関係者の一人が駆け寄って来た。有近夫人の由紀子さんで、当方の突然の出現にもあわてず騒がず「関係者席」のボードと席をてきぱきだから恐縮このうえない。ステージに登場した有近は眉と眼の周辺に隈を作ったメイクで、まがまがしさの気配を少々。ベース、ドラム、キイボード、ギターの4人の仲間と、いきなりテンション高めの歌。
 「変光星」「セックスの虜のバラード」「T.V.DOLL」「あなたのいない世界で」など、自作を中心にガンガン行く。小ぶりな会場を圧する音楽は「聴く」のではなく「体感する」しかない。見回せば女性ファンがリズムに乗って、体を揺すり、うねらせ、手が舞い足が床を踏む。
 グラムロックは1970年代、イギリスで生まれてデヴィッド・ボウイがその代表だと言う。
 《70年代なあ、日本じゃその時期が〝歌謡曲の黄金時代〟だった…》
 作詞家の阿久悠が「ざんげの値打ちもない」の暗さと「また逢う日まで」の明るさの両極を書いて、僕を驚かせた。鶴田浩二が
 〽古い奴だとお思いでしょうが…
 と、旧世代の苦渋をセリフに乗せ、新世代の加藤登紀子が「知床旅情」吉田拓郎が「旅の宿」を歌い、五木ひろしが「よこはま・たそがれ」で再浮上、若いファンはグループサウンズ・ブームやフォーク・ブームの余波を追い、そんな勢いが合流してニューミュージックが生まれる。小柳ルミ子ら清純派と山口百恵ら中3トリオが登場、流行歌の各ジャンルが花盛りで、老若男女がその多様性を楽しんだ―。
 有近のライブのゲストはROLLY。異形の彼は、エレキギターをかき鳴らして「アナコンダ・ラヴ」や「気になるジーザス」をぶち上げる。ライブは3つのパートに分かれていて、有近とROLLYがデュエットしたのは2つめのパート。それが突然「世界は二人のために」だから、僕は少々驚く。山上路夫が作詞、いずみたくが作曲、相良直美が歌ったこのヒット曲は、制作したディレクターまで友人で、それなりに思い出深い。
 この曲で気づくのだが、有近たちの歌唱は歌言葉をぶち切りに分解、それぞれの単語を爆発させ、客席に叩きつけながら、歌として再構築する。歌言葉の含蓄や余韻や情感をそぎ落として、メロディーをロックのエネルギーに乗せるのだが、時に繊細な手触りも感じさせて、荒々しさの中に一定の品性も感じさせるあたりが、魅惑的だ。
 「ヒッチハイカー」「BORON」「死ぬわけじゃないんだし」などの有近ソングがあって、パート3にまたROLLYの登場。2人が愉快そうに声を合わせるのが「サ・セ・パリ」や「セ・シ・ボン」で、アンコールが有近の「愛の讃歌」で収まる。そう言えば僕は石井好子が主催した「パリ祭」を1回目から見ており、このところレギュラーのROLLYはすっかりおなじみ。有近がボーカリストであることに気づいたのは、やはり石井が主催したコンサートが最初だった。
 《えっ? 有近が歌うの? あの作詞家星野哲郎の長男が? 本当?》
 そう仰天したのはもう何10年前になるか!
 有近のグラムロックは、現在の彼の音楽的主張に加えて、歌が元気だった70年代にさかのぼり、あのころに触れ合った作品を再発掘する試みにも思えた。いい作品はいつの時代もいい…という姿勢で、いいもの選び出すのは独特のセンスだろう。
 「この人の音楽には、言葉が生きていて、そこがカッコいいと思うの」
 隣席の女性の感想にうなづき、僕は居合わせた作詞家の真名杏樹と少し話をした。彼女は作曲家船村徹の長女で、有近と一緒に歌づくりもする。僕は双方と親子二代のつき合いということになる。